コラムあるいは雑文

リリアンの校則    - 04/11/20 -

マリみてDB掲示板で「リリアンの校則」について何度か話題になったことがあります。
私は「リリアンの校則は厳しくない」と想像しています。
「歴史のあるカトリックのお嬢さま校」というだけだったら、厳しい校則がたくさんありそうな気もします。もっとも、本物の「お嬢さま校」の校則がどんなものか知りませんけれど(笑)。
(さらに言えば、大昔、卒業した出身校の校則しか知りませんから、世間の校則がどの程度なのかも解りません)

例えば「無印」(16ページ)で「(スール制度のおかげで)特別厳しい校則がなくとも、リリアンの清く正しい学園生活は代々受け継がれてきた」とあります。
リリアンの校則がうかがい知れる記述を捜してみますと・・・
特別厳しい校則がなくとも(「無印」16)
アルバイトは原則禁止、許可を取れば可能(「いばらの森」81)
以前、性風俗でバイトして即日退学になった生徒がいた(「いばらの森」82、「いとしき歳月」107)
ただ男性とおつき合いしているだけでは、停学にもならない(いとしき歳月」125)
制服改造なんてしている不届きものは存在していない(「チェリーブロッサム」15)
白ポンチョのフリフリ、そうしちゃいけないとは書いていない(笑)(バラエティーギフト120)
携帯電話は学校には持ってきてはいけないことになっている(「特別でないただの一日」のあとがき193)
といったところでしょうか。
バイトは原則禁止だが、男女交際は禁止していない。
制服の統一感からも、細かい決まりは一応あるのでしょう。
他にも、ロザリオを別にすれば装飾品のようなものは、だれも付けていないようです(せいぜいリボン)。
髪型は自由のようです(縦ロールとか、笑)。
でも、金髪や茶髪はいないようです。
バイク通学はいない模様(自転車通学はある)。自動車通学は禁止。ただし、高等部在学中に免許を取ることと、校外での使用は禁止してはいないと思われます。
聖さまは普通免許を取りましたし(運転していましたし)。
携帯電話については、持ち込み禁止以前に、そもそも主な登場人物のだれも所有している気配すらありません。「マリみて」の世界では「高校生にはそれほど普及していない」という設定になっているものと思われます。
作品が生まれてから、もう何年も経っていて、世間の事情も変わっています。いまさら、変えられませんからしかたないでしょう。

やはり、リリアンの校風から見ても「それほど細かく規定してはいない」のではないかと思います。「白ポンチョにフリルを付ける」ような生徒が現れても、規則を追加したりはせず、「やんわりと注意する」だけなのでしょう。
少なくとも、生徒の自主性を重んじる高等部では、学校側による厳しい取り締まりは行われていないでしょう。「校門で定規を持った生活指導の先生や風紀委員が待ち構えている」なんて風景はリリアンには似合いません。
それは、上級生(姉)の役目です。
2004/11/20 23:05:54〔投稿者:くりくりまろん〕
確かに授業中に携帯のメールをカチカチ…というのはもう、作品の中では想像し難いですねぇ(笑)。ただ、初登場時の乃梨子はインターネットを操って自分の好きな世界をひろげていて、作品が書かれた頃の女子高生としては随分進んでいたと思います。個人使いのパソコンからメールをプリントアウトなんて。そのころのパソコンの価格は相当なものです。
スール制度については校則ではなく、さらに不文律による強制ですらない(蔦子さんのように姉妹関係に入らない自由もある)というのはマリみての世界の中でとても大切なことではないかと思います。それだけ個人の意思が尊重されているのでしょうね。
2004/11/21 20:56:58〔投稿者:バルミラ〕
カトリックの学校だから逆に厳しくない、と考えるべきかもしれません。普段から(厳しい)聖書の教えを聞かされていれば、明文化された規則がなくとも何をやってはいけないかは、自ずと判るもの。また、指導する側(主にシスター)も神の権威があるので、さほど校則に頼らなくてすむのでしょう。
2004/11/22 08:42:07〔投稿者:クライバー〕
 あくまでも原則論ですが、同じミッション系の学校でも「カトリック」と「プロテスタント」では校風はまるで違います。バルミラさんには悪いのですが、自由な校風が多いのは、圧倒的に「プロテスタント」系でしょう。アメリカの宣教師によって広められたプロテスタントは、例えばお祈りの後に十字を切らないなど、ローマ・カトリック主義への反発もあって、規則で教徒をしばらない主義をとっています。
 プロテスタント系の女子高では、「校則なし」を謳っているところも多いですし、制服のない学校もプロテスタント校に多くみられます。一方の「カトリック」ですが、カトリックは規則には厳しいです。それを反映し、制服や頭髪などの身だしなみは勿論、ルーズ・ソックス禁止、携帯電話持込禁止、持ち物検査も定期的にあるなど、カトリック系の女子高は校則も厳しい。進路指導の際にはネックになる場合もあるようです。
 
 繰り返しになりますが、上記はあくまでも原則論です。学校名を挙げるは避けますが、カトリック系であっても比較的自由な校風の学校はあります(逆にカトリック校なみに厳しいプロテスタント校というのは寡聞にして知りませんが)。偏差値の高い学校に多いようですが、とはいえそういう学校は少数派で、「カトリックは校則が厳しい」が私立校志望の女子中学生の合言葉です。ですから、リリアンはプロテスタント校並みに校則のゆるやかな数少ないカトリック校のひとつ、といえるでしょう。
 しかし、現実に照らして考えると、祥子さまのあの長髪はちょっと問題ありかなと思えます。例え校則に頭髪に関して明記していなかったとしても、おそらく志摩子さんレベルでも教師から「紐で結びなさい」と言われるはずです。確かカトリックの教義の中に、髪の長い女性につて批判的な一文があったと思いました。ヨーロッパの民話でも、「髪の長い女は考えが浅い」と随所で出てきます。まして、祥子さまは生徒会幹部なのですから、周りからの反発は免れ得ないでしょう。
 創作物に出てくる現象は現実との差異の中で「それはどういうことなのか」と考えると深みが増すのですが、祥子さまの超ロング・ヘアーが許容されていることについてのフォローは難しいですね。少なくとも私には、例えば小笠原家が学校に多額の寄付をしているから誰も文句を言えないとか、そんな下世話な想像しかできません。「リリアンの校則=今野先生」ですから、こればかりは何とも・・・
2004/11/22 20:20:32〔投稿者:バルミラ〕
 微妙に話が食い違ってしまったような。私としては(現実にどうかは知りませんが)カトリックなら明文化された規則がなくても厳しく出来るんじゃないか、という意味で書いたつもりだったんですが。校則と校風の区別が人によって違うのかもしれません——そう言えば、厳しい校風って言い方はあまりしませんね——。
 それはともかく、リリアンがあまりカトリック的でないというクライバーさんの意見には賛同します。「生徒の自主性を重んじる」からして、むしろプロテスタント的でしょう。
 ただ、プロテスタントと一口で言っても色々ありますし、カトリックもここ半世紀ほどでかなり変化していますから、簡単には言えません。カトリックも昔ほど窮屈なものでもないような気もします。
 もっとも今の教皇は異教徒や他宗派との対話には熱心ですが、教義にはむしろ厳しい人らしいです。実際、同性愛に対してはかなりきつい事も言っているようですから、やはり「マリみて」は(宗教的には)ファンタジーとして考えていた方が無難だとは思います。
2004/11/24 12:54:32〔投稿者:クライバー〕
 そうでしたかー。それは失礼いたしました。
 同性愛に関してはプロテスタント、カトリックの別なく厳しく対応してますね。あと、プロテスタントは中絶についても煩いですよね。
 「マリみて」が「宗教的にはファンタジー」はファンには暗黙の了解じゃないでしょうか(別に暗黙じゃなくてもいいですけど)。福沢家にしても兄弟でミッション系と仏教系の学校に通っているわけですし、あれだけ伝統のあるミッション・スクールであるにも拘わらずリリアンて信者の生徒はむしろ少数派な印象です。本編でも熱心な信者って栞さんくらいしか登場してませんし、宗教に対して熱心な栞さんに対するリリアン生徒の目も珍しいものを見る感じですよね。勿論、裕巳以下、生徒たちのマリア様に対する敬意には感服するものはありますが。
 古いマリみて・ファンには有名なエピソードですが、もともと今野先生が「マリア様がみてる」を執筆するきっかけとなったのは、ラノベ作家仲間との「キャッチーな決めゼリフがないか」との雑談の中から「マリア様が見てるから」という台詞を今野先生が思いついて「それいーねー」ということになった経緯があります。ですから、最初は宗教とはまったく関係ないところから始まったわけなのですね。でも、「マリア様が見てる」というのを決めゼリフみたいにして使うにはミッション系の学校を舞台にするのがベターですから、どうしても宗教は絡んできてしまいますね。そう考えると「マリみて」は宗教的要素を結構上手く扱ってると思います。
 それだけに、乃梨子や志摩子の悩みはちょっと作品の中で浮いてしまった感じがあります。あれだけ宗教的には自由(というか自覚無さ過ぎ・・・)な校風のリリアンであるにも拘わらず、あれだけ悩むというのは有り得なさ度高いですよね。聖と栞のエピソードが逆に感動的だったのも、そういった作品のカラーがあってこそだと思います。
 で、リリアンの校則ですが、きっと禁止事項は劇的に少ないと想像します。作品中に携帯電話が殆ど現れていないことから「携帯電話の持込禁止」はあるとして、「ルーズ・ソックス禁止」もあるかな。リリアンは幼稚園から大学まで揃っていながら、高校からの中途採用も行っていますので(中・高での採用を行っていない一貫教育の学校もあります)、リリアンは結構なマンモス校ということもあって乃梨子のようにリリアンのシステムに疎い生徒や、風紀に対して無頓着な生徒も高校からかなり入学して来ると思われます。ですから「生徒の自主性」云々という校風の中、生活指導担当教師のお世話になる生徒が目に付かないリリアンは本当に凄い学校ですね。
 ですから、「マリみて」は校則的にもファンタジーと捉えるのが妥当なのではないでしょうか。
2004/11/25 22:57:30〔投稿者:朱夏〕
校則ですか…。少々難しい点を色々含んだ問題ですね。
今もコメントを書こうと思いながら、色々と頭の中が整理できないままでいます。
だた気が付いたことを、以下に少々。
・やはり「マリみて」は、ファンタジーだと言うことに尽きるのではないでしょうか。今野先生はリリアンを通して、理想的な学園「乙女の園」を描きたかったのでは。やっぱり無粋な校則は、あまりお話しに出て来ない方が美しいですよね。
・それでも、生徒会の自主運営とスール制度」に対して、校則とはどの様につじつまが合うのか、いろいろと疑問や想像が果てしなく湧いてきます。(これは何処かで、別個に話したいテーマです)
・「マリみて」は、ミッションスクールが舞台ですから、ある程度、宗教上の問題は避けて通れません。しかし私は「宗教上の問題」より、日本独自のミッションスクールの歴史がたどった「女学生文化史的側面」をより重視しています。(これも、別テーマにすべきですね)
・ある作家さんが何処かのインタビューで、「良くできたお話しは、作者の意図を越えて世界が広がってゆくし、その過程で、いろんな事が作品自らつじつまが合ってゆく」と話されていたことがあります。その想像上の広がりがまた、読者の共感と新たなストーリーを生んでゆくのですが、ファンとして一定の自覚は必要かと思います。つまり、生真面目にその世界を追求するあまり、作者の意図以上に設定を掘り下げても、ある限度を越えてしまうと空しくなる恐れがあるという点です。(などと、偉そうなことは言えない自分ですが、笑)
・携帯については、「マリみて」が舞台となった時代には、まださほど普及していなかった…と言うのが私の意見です。ちなみに「真夏の一ページ」の巻、「おじいさんと一緒」で以下のようなシーンが出てきます。140p〜145p、真美が自宅のPCからタクヤ君のHPを見る場面です。この一連の作業の最後に、真美は「一通り読み終わって、電話回線を切った(144p)」とあります。つまり、現在ほとんど普及したブロードバンドが、この時代にはまだ、ダイアルアップだった訳です。
なお念のために、以上の意見は、クライバーさんとパルミラさんの事を批判した訳では無いですよ。むしろすごく面白かったので、心当たりのある自分への反省を込めて書きました。
校則がテーマなのに、雑多な書き込みになってしまいました。いつもながら、ごめんなさい。
2004/11/26 13:52:03〔投稿者:クライバー〕
ごきげんよう。
 BBSでも良いかと思いましたが、一応こちらに。
 朱夏さまのご指摘、正に「痛いところを突かれたー」という感じです。
 良くできたお話しは、作者の意図を越えて世界が広がってゆくし、その過程で、いろんな事が作品自らつじつまが合ってゆく」というお話は、極めると「主人公が一人歩きをし、自然にしゃべりだす」という作家の境地みたいな感覚にもつながる部分があると思い、興味深いところです。さらに「作者の意図以上に設定を掘り下げても、ある限度を越えてしまうと空しくなる恐れがある」は私もいつも気をつけているつもりではあるのですが、対象との距離感て本当に難しいんですよね。
 マリみてDBで「マリみて」の時代設定の考証を行ったとき、見事に今野先生からあとがきで突っ込みが入ってしまった(直接的には言及されておりませんでしたが、当時該当する活動を行っていたのはマリみてDBくらいしかありませんでした)こともあります。でも、別に設定やストーリーの矛盾点をいちいち提示して「なってない!」と指摘したいがためにデータベースやタイムテーブルを作っているわけではないですよね。中には批評=批判ととらえてしまう作家さんもおられるようですが。それにしても、度を越えてしまうのは自覚的に避けなければならないポイントですね。
 尤も、作品自体に魅力がなく、取るに足らないものなら誰も見向きもしないわけで。
 いずれにしても、朱夏さまに戴いたコメント、ありがたく頂戴させていただきます。
 あっ、テーマが・・・
2004/11/27 00:48:05〔投稿者:いわし〕
なかなか流れを無視したコメントをしますが、やはり自分もワトソンさんと同じく特に厳しい校則やその取り締まりは無くて、正しい方向に導くのは上級生の役目…という感じだと思います。むしろ「廊下は走らない」とかそういう細かいマナー的な部分が厳しそうのか。(まぁ怒る訳でもなく「マリア様がみていらっしゃいますよ」なわけですが)
2004/11/28 21:07:38〔投稿者:でるもんた・いいじま〕
みなさまはじめまして、ごきげんよう。
教義ですが、他にも今野先生がカトリックの教義に疎いと思われる記述があります。
「(マリア像を観に、教会巡りするのもいいな)」(チェ120)という乃梨子の心情ですが、乃梨子以外の人が志摩子にそれを提案したら、志摩子は一喝するでしょう。なぜなら、「偶像崇拝の禁止」の解釈としてカトリックでは、聖人の像は、仏像のようにそれ自身に魂が宿るものではなく、天におわす聖人を想起する手がかり、と考えているからです。従って、学校にマリア像があれば、天におわすマリアさまを想起するにはそれで十分であり、他の場所を巡る必要はないからです。
逆に、今野先生は日本文化にはかなりお詳しいようで、「銀杏の中の桜」でも、雑誌掲載のときには存在しなかった伏線(江戸時代の「趣味のサークル活動」;チェ45)が追加されていますし、仏像関係の描写も詳しいものがあります。(チェ18、48-49、56、涼風24)
2004/11/28 21:44:54〔投稿者:でるもんた・いいじま〕
くりくりまろんさん:
「銀杏の中の桜」の当時の97年は、ちょうど私がパソコンを買った年でもあるので覚えているのですが、NECがDOS/V陣営の攻勢を受けて独自仕様から転換する前年です。確か、新品なら30万くらい、形落ち狙いなら20万くらいで買えたはずです。一家4人のために買ったけど結局は乃梨子しか使わず、そのまま菫子さんのマンションへ…というシナリオが考えられます。
クライバーさん:
それと髪ですが、「女の長い髪は名誉だが、男の長い髪はダメ」という趣旨の記述が、たしか旧約聖書のほうにあったはずです。いま手元にない(というか旧約は買ったり貰ったりしたことがないし、新約も4福音書と黙示録しかまともに読んでいない)ので明示できませんが…
ヨーロッパの民話も、もし西欧〜北欧のことであれば、あのへんはキリスト教以前からの神話や伝承が豊富なところですから、キリスト教とは別の起源ではないでしょうか。(イングランドあたりまでは早い時期にローマ帝国に浸食されてしまいましたが、そこから先はローマの手の及ばない辺境地帯です。)
2004/11/30 20:58:03〔投稿者:くりくりまろん〕
>クライバーさま 志摩子さんの宗教上の悩みが浮いて見えるということについては、まさに浮いていること自体に、本人は気づいてないけれども少し違ったところに悩みの本体があることが示されているのではと考えることもできると思います。そしてその悩みは、例えば乃梨子との距離の取り方を混乱させるようなものではなかったかと。表現上の工夫の一つとして宗教との関わりが据えられているという見方です。
でも一方、もし日本ではなくて文化的に一神教が強く根付いているようなところだったら、家庭での宗教と自らの信仰の違いが深い悩みになりうることは当然のこととして受け止められるのではないかとも言えます(ある方に指摘されてハッとしたことがあります)。
信仰心については正面からとりあげられることはないと思いますが、どちらに解しても志摩子さんにとっての宗教は極めて重要なものだし、作品の中でも叙情性のための飾りでは済まないものになっているのではないでしょうか。
題名についての今野先生のエピソード、そこからどんどん設定が拡大されていったのならすごい話ですね。
2011/08/02 01:26:33〔投稿者:Missi〕
Cheers pal. I do arppeictae the writing.