コラムあるいは雑文

続:痛くもかゆくもない    - 05/02/18 -

コメントがすごいことになっている(さすがに読みづらくなってきた)ので、新しいコラムにします。
(申し訳ありませんが、前回のコラムへのコメントもこちらにコメントしてください)

柏木氏について、小説に書いてある通りに解釈するか、それとも小説の記述には作者によるミスリードが含まれていると解釈するかは、もちろん読者の自由です。
で、前回のコラムで書いたように、私は前者の立場にいます。
瞳子ちゃんの場合、作品内に「瞳子ちゃんの真実」を示唆するヒントがたくさんあります。それに対し柏木氏については、記述が少ないことによる想像の余地こそたくさんありますが、真実が別のところにあることを示唆するような記述は特に見つけられません(私には)。
私の解釈は、柏木氏は「必要に応じて登場させるが、それ以上のキャラではない」ので「作者が意識的に読者を惑わすような必要はない」というものです。

それでは、前回のコラムにいただいたコメントについていくつか。

>友達いないんじゃないでしょうかね
私もそう思います。いまのところ、柏木氏は対等な友達を必要としていないでしょうね。(部下として)信頼できる人物をどれだけ持てるかのほうが重要な時期なのでしょう。一般人とはかけ離れた世界です。

>男性同性愛者であるのは本当のことなのか
祥子さまによると、柏木氏は祥子さまに『男しか恋愛の対象にならない(無印230)』と言っています。私には柏木氏が同性愛者をよそおう意味が見いだせません。もちろん、解釈をひねり出すことは可能ですが無理を感じます。

>着ぐるみパンダはなぜ、祐麒ではなく祐巳を選んだのか
あの場面で柏木氏が祐麒の頭をいいこいいこすることはあり得ないと思います。他の生徒の目がありますから。生徒会長である祐麒の立場を尊重するだろうという意味です。着ぐるみを着ていなければ、(柏木氏は)生徒会長より立場が強いので、できたかもしれません。
それに対し、山百合会での祐巳の立場は気にしません。

>小笠原家と柏木家と松平家
小笠原家と柏木家は、柏木優氏の両親の結婚以前から親戚筋なのかもしれませんね。苗字は違いますが本家と分家程度の距離ではないかと想像しています。
それに対し、松平家は瞳子ちゃんの両親の結婚によって親戚になっただけと想像できます。瞳子ちゃんは、由乃さんに「血のつながらない」と言われて「それでも親戚には間違いない」と言っていますが、否定はしていません。
もっとも、小笠原家と柏木家がもともと親戚筋だと仮定すると、瞳子ちゃんと祥子さまも多少は血がつながっていることになってしまいそうですが。

>小笠原家のドロドロ
小笠原家の男たちはドロドロしていないと思います(笑)。つまり、やってることは同じでも、隠し立てせずさわやかにやっていると思うのです。後ろめたいことだと思っていない。だからこそ、たちが悪い(笑)。
ですので、本人たちにも知らされていないような血縁関係はないんじゃないかなぁ・・・(読者には隠されているというのは否定しませんが)。
何にせよ、これらのことは祥子さまのキャラ設定に必要な背景にすぎず、本筋ではないと思います。
瞳子ちゃんのキャラ設定に必要な背景として、何かが隠されている可能性は否定しません。でも、松平家にはドロドロの事情が・・・という展開は、ちょっと嫌だなあ。
2005/02/18 12:29:55〔投稿者:はちかづき〕
一度BBSに載せた文章の転載です。あつかましくてすいません。
柏木氏の解釈が割れるのは、結局のところ彼が脇役であり、彼に関しての情報が少ないからですよね。「自分本位派」も「悪党派」も論拠はかなり薄弱です。また「実はホモじゃなかった」みたいな反則展開を想像してもあまり違和感が無いのも、彼のキャラクターが物語の本筋の外にあるからだと思います。
その上で、「自分本位派」は山百合会の面々や祐麒との関係を重視し、「悪党派」は小笠原グループ内での彼の立場を中心に論を組み立てています。手がかりが少ない分、切り口の違いによって同じ事実から異なる解釈が発生するのでしょう。
無印において、柏木氏が少女漫画における理想的な男性像(王子)のネガポジ反転として登場した事は間違いないと思います。しかし、その後「なかきよ」や「さつさつ」などを通じて柏木氏の新たな側面が描かれるにつれて、キャラクターの路線変更が起こった可能性は否定できません。あくまでまだ可能性の域だとは思いますが。
ただ、私個人としては無印以来の「欠点と美点が表裏一体」であり「欠点こそがキャラクターの本質」であるような、柏木氏の度し難い人間性に魅力を感じており、単行本を一冊以上使って描いてもいいような主題だと考えています。
まあ要するに「花寺編」が読みたい!って事です。あるいは「お釈迦様がみてる」。「運動部と文化部の対立」みたいな特異な文化が花寺にもあるみたいですし。時期的には無印と「なかきよ」の間を見てみたいですね。柏木氏にとってはごく狭い範囲とはいえ同性愛者であることがばれた直後であり、また祐麒との急接近がおきた時期でもあります。
皆さんはどうお考えでしょうか?
2005/02/18 18:13:12〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。 まあ、当たり障りのないところでの、柏木氏の不思議かつ(ユキユミ主義者(汗)として)気になる発言をいくつか。
はちかづき様のおっしゃるとおりだと思いますね。「脇役」であり「本筋ではない」ために、漠然とさせておいてもよいし、読者としてもそれほど気にせずにすむ。ところが、彼の持つ強烈な個性、欠点がさらけ出されても一人称としての魅力を失わないということが、時折このような議論を生む。…脇役であり続けるのかどうかも、大きな問題として浮かび上がりますね。(私のような)「悪党派」である場合、彼は気にせずにいられるだけの背景、脇役だけではいられなくなってしまう面が強いでしょうから。…まあ、つまり、(もしかしたら作者の予想を遙かに超えて)濃いキャラになってしまった。「白チビ」「オヤジ女子高生」などの面を持ってしまった佐藤聖と同様に。
花寺編…たぶん花寺の高校での柏木氏は、聖さまや瞳子ちゃん並に「ちがう」のだろうなぁとか思うのです。
で、タイムテーブルから考えるに、彼はまず祐麒に出会って、そのおもしろさを知っていた上で、全く同じような味を持つ、顔もよく似た女の子に出くわしたというようにも思えるのですよね。だから、無印以降で祐麒との急接近が起きたのか、それとも、順序が逆だったのか、それも情報がないですね。ただ、「祐巳ちゃんがユキチのお姉さんだったとはね」(「なかきよ」Pp.196)という発言からすると、まず祐麒を知っていてからというニュアンスが強いと感じます。ただ、あの時点で知らなかったとは思えない…想像はしにくいと思います、年子で学年同じですから。
さて。「なかきよ」は、登場人物として、彼にとっても、祐麒にとっても、さらに祥子や清子小母さまにとっても、描かれ方の転機になったと感じられます。
柏木氏(および彼に関する)の発言に絞って、気になることは2つ。
・清子小母さま「〜気疲れする殿方も留守だから〜」「でも優さんは別よ。お茶を入れてくれるような男性だったらいつでも大歓迎」Pp.198
・(ゲームプレイヤーのペアで)「福沢姉弟、小笠原親子とすると、余りが僕と白薔薇さまになるけど−」(言ってみただけなのか?最初に。フロイト的に言えば、何の気なしの方が本音であることも…)
・(清子小母さまの娘の呼び方)「祥子さん」
・柏木「気がもめるよね」:(「祥子さん」と祐麒が呼んだことにいらついていたことが先にあってから)〜先に宝船を作り終わっていた祥子さまが、遅れた祐麒に付きっきりで折り方を教えていた。/「気がもめるよね」/柏木さんはさらりと言ってくれたけど。その意味は計り知れない。Pp.234(そこが大事なんです!!!by森薫)
「涼風〜」では、
・「僕は脱がすのは好きだが、脱がされるのは苦手なんだ」Pp.217(……)
・「祐巳ちゃんに、ここまでやらせなきゃならないなんて−」同上
・祐麒「今、祐巳と!?」/柏木「うん。彼女、本当にいい子だね」Pp.221
・「かわいそうに」:(柏木「そうか。気がつかなかったのかい。かわいそうに」/祐麒「かわいそう?」/(祐麒モノローグ)この人は、何を言っているのだろう。必死で探している相手とすれ違って、気がつかないわけがないではないか。(そこが一番大事なんです!!!)
2005/02/18 18:16:21〔投稿者:冬紫晴〕
補足:柏木は、「なかきよ」時点で祐巳が祐麒の姉であることを知らなかったとは思えない、ということです…
2005/02/19 01:22:40〔投稿者:アルス〕
瞳子ちゃんの両親がどなたかは分かりませんが、『特一』での娘の晴れ舞台(「若草物語」の劇)に彼女の家族が誰も観に来なかったのは、何だか切ない気分になりました。 もしかすると、瞳子ちゃんの学園祭チケット5枚は柏木さんに渡ったのかもしれませんね。
2005/02/19 18:38:51〔投稿者:はちかづき〕
柏木氏を含む小笠原の人々が福沢姉弟に弱い理由についてなんですが。既出でしたら失礼。
まず、これはくりくりまろん様がご自身のブログの「特一」の感想の④の中で述べていらっしゃった事ですが、祥子さまはまるで心に鎧を着込んだかのような強い「構え」を持っています。
ここから先は私の考えなのですが、この「構え」は、「女優」の瞳子ちゃんやいつでも王子様な柏木氏の心にも存在しています。こういった「構え」は、心を支え、守り、また揺るぎない自己と的確な行動を保障してくれます。
しかし、時として「構え」は自らの心を押し込め、心の働きを制限する物となってしまいます。
「百面相」福沢姉弟は、そのような「構え」による心の制約が著しく弱く、おかげで思ったことは全部顔に出てしまうし、いまいち落ち着きもありません。しかし、彼らのそういった素直さ、率直さが、「構え」を持つ小笠原の人々やひねくれものの佐藤聖の目には好ましいものに映るのでしょう。
「構え」がいつもマイナスに働くわけではありません。しかし時には重い鎧を脱ぎ捨てて一休みしたい時もあるわけで。「構え」に縛られない福沢姉弟が相手だからこそ、いっとき「構え」を忘れる事が出来る。それが小笠原の人々が福沢姉弟に弱い理由なのだと思います。
また、福沢姉弟の魅力をよく知っている柏木氏と違い、瞳子ちゃんはそのことに無自覚なため、祐巳の予想外の行動に「調子狂いっぱなし」になってしまうのではないでしょうか。
祥子さまに祐巳がぴったりはまった理由に関しては、もうちょっといろんな理由があるんでしょうけど、それはまた別の話ですね。
>冬紫晴さま
もし柏木氏がユキチの魅力を知った上で、「全く同じような味を持つ、顔もよく似た女の子」に出会ったのだとしたら、それ相応の反応を示したはずだと思います。しかし無印において柏木氏は、祐巳のことを「山百合会のお迎えの人」としてしか認識しておらず、それ以上の関係は発生しませんでした。ですから無印の時期においては、柏木氏はまだ福沢姉弟の魅力を知らず、祐麒の事も単なる生徒会の後輩の1人としてしか見ていなかっただろう、というのが私の見解です。
2005/02/20 19:37:56〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。メインPCが壊れまして(泣)修理中なので、短めに。
>はちかづきさま
おお、なるほど。納得できるし面白いです。順番がどちらでもよいのですよね、確かに。福沢姉弟の魅力には待てしまったのも、その理由も慮ることもできるし…思うに、「無印」での祐巳(ちゃん)の「柏木さんじゃだめなの!」は、彼にとって衝撃も大きいし、面白かったのではないかしら。(後付で、祥子の様子を見て取ったことも)で、「略して〜」では、「偉大な先輩」扱いせず、歯に衣着せず「いつでも頭の中がお祭り騒ぎ」呼ばわりする祐麒がいて、表情(=顔)も含めて、福沢姉弟は、やはり面白いのではないかと。だとすれば、祐巳、祐麒、どちらに先に会ったかにかかわらず、つかまってしまう結果には変わりないような気がいたします。
2005/02/21 11:16:59〔投稿者:くりくりまろん〕
柏木氏は決して自らの権力を高めることだけを考える孤独な野心家ではなく、はっきりと守るべきものを持ち、守護者としての役割を全うしようとしているのではないかという見方も可能と思います。可能であるというだけで決め手はありません。強いて言えば、祥子たちに尽くしているように見える数々の行いです。
すなわち私の柏木氏に対する見方はワトソン様に近く、しかもとても純粋なところがあるのではないかという「自分本位派」の中の「純情派」です(笑)。朱夏さまの
>一般的に「家」をめぐる問題は、個々人の恋愛感情とは全く別の所にあります。この視点から考えると、柏木は、やはり祥子を守ろうとしている様に見えます。
を一歩進めて、むしろ祥子などを守ろうとする意思が柏木氏の根本にあるのではと考えたいのです。
人間関係の持ち方や行動指針について、はちかづきさまの
>上記のような視点に立つと、柏木氏がまさに王子であることがわかりますね。
の①〜③は、次のように言い換えることができるのではないかと。そして、彼の中では人々というのは全て3つのうちのどれかに分類できてしまうのです。
①自らの身を盾にしてでも守り、盛り立てなければならない家族や身内。そして最も大切にしているものです。
②外敵、あるいは将来敵となり得る外敵候補。
③①の目的に適う、協力者または協力者候補。
①は作品の中で名前は出ていない親族であり、祥子、瞳子、清子小母さまもこれに加わります。瞳子ちゃんが柏木氏になついているように見えるのは柏木氏の意思を良く知っているからであり、それは柏木氏に失望する前の祥子の姿でもあります。祥子の柏木氏に対する感情は、敬慕というものに近かったのかも知れません。
③には花寺の後輩たちが入ります。良家の子弟が多いところで影響力を持っていれば将来役に立つので、後輩が学園内にいる限りちょこちょこと顔を出して渡りをつけておくのです。嫌味くさく押し付けがましいと同時に洗練されている柏木氏の立ち居振る舞いは、多くの人を引き付けることができます。推理小説同好会の失敗に関する振る舞いには統率力が感じられますが、仲間というよりはどうしても手駒扱いしてしまう傾向はあるのかも知れません。
「子羊」で示された嫌悪感は、確かに余裕のある立場だからこそ言えることでもあり、今まで敵が多かったことにも由来するのでしょう。加えて好意的に解釈すれば、力を求めるのは柏木氏にとっては目的ではなく、①のための手段にすぎないので金持ちの間での嫉妬やへつらいを軽蔑しきることができるのです。
しかし、その守りたいという意思の根本は純粋でも奇妙な表れ方をすることがあります。
《無印》で祥子を著しく傷つけたという、外に恋人を作って子供を産めば良いという考えは、柏木氏にとっては苦渋のものであると同時に本気で最善のものとして選択したのだと思われます。祥子にしてみれば「男しか恋愛の対象にならない」だけならば悲しくは思っても憎むことはありません。また逆に、小笠原グループを維持するための道具としてのみ祥子を扱おうとしているのなら、憎んで柏木氏を切り捨てれば良いのです。
(好きだったことを知らないという事情もあって)祥子のためにも最善のものとして柏木氏が確信していることが許せないのであり、同時に未だに未練がましく見えるのも、柏木氏の動機は純粋なことを知っているからと思われます。このようにして見ると、スタイルとして確立された「さつさつ」での振舞いよりも《無印》での悪役風の言動の方がむしろ柏木氏の真情が良く現れていると取れます。…柏木氏に祥子の好意が伝わっていなかったこと、それにもかかわらず柏木氏を責めていることについて祥子にも微かに落ち度があったのではないかというのはまた別の話です。
祥子が心を凍てつかせたような育ち方をしているのは愛情に恵まれなかったからではなく、むしろ十分に与えられながらもその中身がはなはだズレていて自分が理解されているとはなかなか思えないという、言わば二重拘束の状態で身動きが取れなくなっていたからではないでしょうか。期待に答えて習い事に過剰に励むというエピソードは示唆的です。
このズレ具合は柏木氏に端的に現れており、理解しようとしてもできないのです。そして「うちの家系の男はみんな」人の気持ちが理解できないと槍玉に挙げられている以上、小笠原融もそうなのでしょう。祥子を十分に可愛がり、祥子もそれをよく知っていて父親が好きなのですが同時に理解はされていないのです。その点、水野蓉子や祐巳が現れたことは大きいと言えます。
さて、祐麒や、祥子にくっついている祐巳は自動的に③に分類されるはずのところ、①〜③のどれにもあてはまらず柏木氏は戸惑ってしまったのではないかと思います。冬紫晴さま、はちかづきさまが詳しく述べられている通りです。何かの線引きが行われているところに現れ、易々と無効化してしまうのが福沢姉弟の特徴なのでしょうね。
以上のようなわけで、柏木氏の魅力は、十重二十重に隠蔽されて歪んではいるけれども確かに存在する純粋さにあるのではないかと思っています。
2005/02/21 23:14:01〔投稿者:はちかづき〕
>くりくりまろん様
柏木の純粋さや祥子の置かれた境遇についてなど、相変わらず冴え渡っていらっしゃいますね。見習いたいものです。
柏木氏の活躍する3つのステージについてですが、僕としては柏木氏と他の人々の間の関係を重視して分類しています。
①は柏木氏が何のバックグラウンドも無い一個人として、別の個人と結んでいる個人的な関係。
②は上流階級の人々のルールのもとでの、敵味方両方に対しての、政治的な関係。
③は花寺の最高権力者として、部下・後輩との間に結んだ報恩と忠誠の関係。
祥子さまとは①と②の関係を、祐麒とは①と③関係を、時と場合によって使い分ける事となります。また、無印における山百合会との関係は、花寺とリリアンの外交と言う意味で③の変種とみなす事が出来ますが、一方で「なかきよ」などでの聖さまとの関係や、「パラさし」での蓉子さまとの関係は、①であると言えます。(この話題とは直接関係ありませんが、柏木氏は聖さまや蓉子さまの事はかなり好きなんじゃないかと思います。向こうには嫌われているでしょうけど。とはいえ確たる根拠があるわけではございません。)
さて、人間は状況によっていくつもの顔を持つものですが、それゆえに混乱が起こったのが祥子様との結婚問題です。結婚とは①個人的な問題であるとともに、小笠原では②政治的な問題でもあります。「人の心が分からない」柏木氏はこれを読み違え、100%政治的な取引をもちかけて、祥子さまの心をひどく傷つけてしまったわけです。この場合、祥子さまが恋愛感情と言う極めて個人的な感情を、柏木氏に対して抱いていた事が事態を悪化させてしまいました。
また、僕の分類の仕方では福沢姉弟も①の個人的な関係の中に含みます。しかし柏木氏との関係に限定しなかった場合、「子羊」における祐巳の行動は、金持ち同士の見栄の張り合いと言う②政治的な関係を、歌声ひとつで本来の①個人的な関係、つまり京極の大奥方の誕生パーティーへと引き戻してしまったと言う点で、「線引きを踏み越えた」と言うことができると思います。このケースは、対個人ではなく、②の論理で動く一つの状況全体を、一度に①の論理に作り変えてしまったと言う点で稀なものであると言えるでしょう。
ところで、柏木氏の叔父である小笠原融氏は、よほど仲が悪くない限りは、柏木氏の手本となっただろう人物です。僕としては、柏木氏が①②③すべての状況で貫いている「王子様スタイル」は、あるいは彼の影響によるのではないかなどと憶測を重ねているのですが、その融氏を含め、小笠原の男性の多くは女性関係においてもかなり旺盛な活力を持っているそうです。それに対して自分には女性を愛する能力が無いと知った時、柏木氏がどう思ったのか。またそれでなくても同性愛者であることをそう簡単に受け入れる事が出来たのか。作中には描写が無いので、個人的には、柏木氏に関してもっとも知りたい点となっています。もちろん柏木氏が同性愛者ではない可能性だってあるわけですが。
2005/02/22 13:38:27〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。>はちかづきさま 同性愛者ではないにもかかわらず、女性を愛することができない、能力がないとしたら?その可能性は作中に示されているかどうかを、拾ってみたいものです。
2005/02/23 08:04:34〔投稿者:くりくりまろん〕
>はちかづきさま 一個人としての関係は柏木氏にとってとても貴重なのかもしれませんね。
柏木氏については一つのイメージを持っておりまして、いわゆるマザコン型の同性愛者というのが一番近い気がするのです。以下、想像が大分混じります。
小笠原家が父系家族で男性が幅を利かし、清子小母さまのような古風で上品な女性が犠牲になってしまうのと逆なのが柏木家です。柏木氏のところでは母系家族で、母親か祖母かおばさんかはわかりませんが強い女性が幼少の頃から柏木氏に厳しく、しかし隅にも置かぬ持ち上げぶりで躾けていたのでは、といった想像をしています。関連のありそうなこととして…
・女性を傷つけることは柏木氏にとってとんでもないことで、「さつさつ」では祐巳に平謝りです。
・清子小母さまのような年上の女性がどうしたら心地良いのか、良く知っているしサービス精神を発揮することもできます。
・絶えず注意を注がれているおかげで優秀ですし、丁重な扱い振りによって強い自信ができて野心家の卵になります。でもそれが良い方向であれば「理想の高い人」であって正しいことを貫くエネルギーを持ち、自らを捨てて何かに尽くすことになります(その差は紙一重です)。同時に、自分の正しさを疑わないナルシスティックなところも出てきます。
そして冬紫晴さまが述べられている
>臭いがしないことが男性同性愛者を指すとは限りません…対女性恐怖症によっても起こりうるのです
には深く肯くところがあります。男性性を強い女性によって挫かれたようなところがあるのではないでしょうか。上下関係のある女性や一定の役割の中にいるときは大丈夫なのですが、厳しい目を離れて一対一の男女のこととなると…。わざわざ祥子さまに言いに来たときは、忸怩たるものがあったかもしれません。融氏に対したときの柏木氏には複雑な思いがあると思います。公私ともども手本ではありますが、単に融氏のようになりたいというものではないでしょう。
祥子さまも柏木氏も「家」の呪縛に捉われているというふうにも取れます。江利子さまは山辺氏を仲立ちとして一騒動の末、ある程度呪縛から開放されています。しかし祥子さまや柏木氏の場合はほぼ不可能と言えるほど困難を極めるのではないか、と思っているところです。
2005/02/25 19:51:43〔投稿者:バルミラ〕
 個人的には、柏木家(優の育った環境)には特に問題がないのではないかと思います——母親は手のかかりそうな人なのではないかと想像してます。なにしろ祥子の伯母ですから——。
 むしろ、環境的にも当人の能力的にも生まれた時から恵まれていて、あらゆるもの——それこそ美人の婚約者まで——が欲しいと思う前に手に入ってしまうことが、柏木優という人間を形成する原因になったのではないでしょうか。
 欲しいものが何でも手に入ってしまう以上、得るために個々の人間と関わる必要性はなくなってしまいます。それでも人と関わろうとすれば、与えることしかありません。彼は相手のために何かをする以外に、人と関わることが出来なかったのではないでしょうか。
 優は表面的には八方美人で馴れ馴れしい人間に見えますが、実は彼の立場からすれば必ずしも全ての人間に好かれたり関わったりする必要はありません。むしろ彼が誰とでも関わるのは相手にとって必要なことだと考えます。
 仮に、彼のように美男で、頭が良くて、何でも出来て、生まれのいい人間が、他人に対して愛想のない態度をとったらどうなるか。そのことだけで、相手は自信を喪失してしまうでしょう——特に女性は——。彼の一見、節操のない愛想の良さは、むしろ他者を守るためにこそ必要なものだったのではないでしょうか。
 ただ、彼が常に他者にとって望ましい者になれるとしても、彼は一人しかいない以上、一度に二つの存在にはなれません。その場合、彼は親しい人間よりもそうでない人間を優先するような気がします。例えば「パラソルをさして」での彼の王子様ぶりは、祐巳や蓉子にはえらく不評でしたが、リリアンの生徒一般——代表としては桂——には大うけでした。
 それと、要求が一人の人間からでもそれが矛盾していれば、やはり両方には応えられません。
 かつて、彼は祥子に対して「父親の代役」として問題なく接していました。しかし、そこに婚約者——あるいは恋人、将来的には夫——として役割も要求されましたので、話が面倒になってきます。仮に彼が同性愛者でなく、また祥子に好意を持っていたとしても、この状況は厄介でしょう。
 ここで書いた仮定が正しいとするならば、優はしないでもいい苦労をわざわざしていることになります。いや、むしろそれくらい率先して苦労を買わないと、生きていてやることがないのかもしれません。あるいは、それこそが柏木優という人間の問題点なのでしょうか。
2005/03/02 01:23:25〔投稿者:管理人〕
様々なご意見ありがとうございました。
あまりに深いので、それぞれのご意見にコメントを返せないことをお詫びします。
さあ〜て、次のネタは何にしようかなぁ・・・(ぅぅ、ネタ切れ 涙)。