マリみてTT:コラムあるいは雑文(2005年2月)

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続:痛くもかゆくもない    - 05/02/18 -

コメントがすごいことになっている(さすがに読みづらくなってきた)ので、新しいコラムにします。
(申し訳ありませんが、前回のコラムへのコメントもこちらにコメントしてください)

柏木氏について、小説に書いてある通りに解釈するか、それとも小説の記述には作者によるミスリードが含まれていると解釈するかは、もちろん読者の自由です。
で、前回のコラムで書いたように、私は前者の立場にいます。
瞳子ちゃんの場合、作品内に「瞳子ちゃんの真実」を示唆するヒントがたくさんあります。それに対し柏木氏については、記述が少ないことによる想像の余地こそたくさんありますが、真実が別のところにあることを示唆するような記述は特に見つけられません(私には)。
私の解釈は、柏木氏は「必要に応じて登場させるが、それ以上のキャラではない」ので「作者が意識的に読者を惑わすような必要はない」というものです。

それでは、前回のコラムにいただいたコメントについていくつか。

>友達いないんじゃないでしょうかね
私もそう思います。いまのところ、柏木氏は対等な友達を必要としていないでしょうね。(部下として)信頼できる人物をどれだけ持てるかのほうが重要な時期なのでしょう。一般人とはかけ離れた世界です。

>男性同性愛者であるのは本当のことなのか
祥子さまによると、柏木氏は祥子さまに『男しか恋愛の対象にならない(無印230)』と言っています。私には柏木氏が同性愛者をよそおう意味が見いだせません。もちろん、解釈をひねり出すことは可能ですが無理を感じます。

>着ぐるみパンダはなぜ、祐麒ではなく祐巳を選んだのか
あの場面で柏木氏が祐麒の頭をいいこいいこすることはあり得ないと思います。他の生徒の目がありますから。生徒会長である祐麒の立場を尊重するだろうという意味です。着ぐるみを着ていなければ、(柏木氏は)生徒会長より立場が強いので、できたかもしれません。
それに対し、山百合会での祐巳の立場は気にしません。

>小笠原家と柏木家と松平家
小笠原家と柏木家は、柏木優氏の両親の結婚以前から親戚筋なのかもしれませんね。苗字は違いますが本家と分家程度の距離ではないかと想像しています。
それに対し、松平家は瞳子ちゃんの両親の結婚によって親戚になっただけと想像できます。瞳子ちゃんは、由乃さんに「血のつながらない」と言われて「それでも親戚には間違いない」と言っていますが、否定はしていません。
もっとも、小笠原家と柏木家がもともと親戚筋だと仮定すると、瞳子ちゃんと祥子さまも多少は血がつながっていることになってしまいそうですが。

>小笠原家のドロドロ
小笠原家の男たちはドロドロしていないと思います(笑)。つまり、やってることは同じでも、隠し立てせずさわやかにやっていると思うのです。後ろめたいことだと思っていない。だからこそ、たちが悪い(笑)。
ですので、本人たちにも知らされていないような血縁関係はないんじゃないかなぁ・・・(読者には隠されているというのは否定しませんが)。
何にせよ、これらのことは祥子さまのキャラ設定に必要な背景にすぎず、本筋ではないと思います。
瞳子ちゃんのキャラ設定に必要な背景として、何かが隠されている可能性は否定しません。でも、松平家にはドロドロの事情が・・・という展開は、ちょっと嫌だなあ。
2005/02/18 12:29:55〔投稿者:はちかづき〕
一度BBSに載せた文章の転載です。あつかましくてすいません。
柏木氏の解釈が割れるのは、結局のところ彼が脇役であり、彼に関しての情報が少ないからですよね。「自分本位派」も「悪党派」も論拠はかなり薄弱です。また「実はホモじゃなかった」みたいな反則展開を想像してもあまり違和感が無いのも、彼のキャラクターが物語の本筋の外にあるからだと思います。
その上で、「自分本位派」は山百合会の面々や祐麒との関係を重視し、「悪党派」は小笠原グループ内での彼の立場を中心に論を組み立てています。手がかりが少ない分、切り口の違いによって同じ事実から異なる解釈が発生するのでしょう。
無印において、柏木氏が少女漫画における理想的な男性像(王子)のネガポジ反転として登場した事は間違いないと思います。しかし、その後「なかきよ」や「さつさつ」などを通じて柏木氏の新たな側面が描かれるにつれて、キャラクターの路線変更が起こった可能性は否定できません。あくまでまだ可能性の域だとは思いますが。
ただ、私個人としては無印以来の「欠点と美点が表裏一体」であり「欠点こそがキャラクターの本質」であるような、柏木氏の度し難い人間性に魅力を感じており、単行本を一冊以上使って描いてもいいような主題だと考えています。
まあ要するに「花寺編」が読みたい!って事です。あるいは「お釈迦様がみてる」。「運動部と文化部の対立」みたいな特異な文化が花寺にもあるみたいですし。時期的には無印と「なかきよ」の間を見てみたいですね。柏木氏にとってはごく狭い範囲とはいえ同性愛者であることがばれた直後であり、また祐麒との急接近がおきた時期でもあります。
皆さんはどうお考えでしょうか?
2005/02/18 18:13:12〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。 まあ、当たり障りのないところでの、柏木氏の不思議かつ(ユキユミ主義者(汗)として)気になる発言をいくつか。
はちかづき様のおっしゃるとおりだと思いますね。「脇役」であり「本筋ではない」ために、漠然とさせておいてもよいし、読者としてもそれほど気にせずにすむ。ところが、彼の持つ強烈な個性、欠点がさらけ出されても一人称としての魅力を失わないということが、時折このような議論を生む。…脇役であり続けるのかどうかも、大きな問題として浮かび上がりますね。(私のような)「悪党派」である場合、彼は気にせずにいられるだけの背景、脇役だけではいられなくなってしまう面が強いでしょうから。…まあ、つまり、(もしかしたら作者の予想を遙かに超えて)濃いキャラになってしまった。「白チビ」「オヤジ女子高生」などの面を持ってしまった佐藤聖と同様に。
花寺編…たぶん花寺の高校での柏木氏は、聖さまや瞳子ちゃん並に「ちがう」のだろうなぁとか思うのです。
で、タイムテーブルから考えるに、彼はまず祐麒に出会って、そのおもしろさを知っていた上で、全く同じような味を持つ、顔もよく似た女の子に出くわしたというようにも思えるのですよね。だから、無印以降で祐麒との急接近が起きたのか、それとも、順序が逆だったのか、それも情報がないですね。ただ、「祐巳ちゃんがユキチのお姉さんだったとはね」(「なかきよ」Pp.196)という発言からすると、まず祐麒を知っていてからというニュアンスが強いと感じます。ただ、あの時点で知らなかったとは思えない…想像はしにくいと思います、年子で学年同じですから。
さて。「なかきよ」は、登場人物として、彼にとっても、祐麒にとっても、さらに祥子や清子小母さまにとっても、描かれ方の転機になったと感じられます。
柏木氏(および彼に関する)の発言に絞って、気になることは2つ。
・清子小母さま「〜気疲れする殿方も留守だから〜」「でも優さんは別よ。お茶を入れてくれるような男性だったらいつでも大歓迎」Pp.198
・(ゲームプレイヤーのペアで)「福沢姉弟、小笠原親子とすると、余りが僕と白薔薇さまになるけど−」(言ってみただけなのか?最初に。フロイト的に言えば、何の気なしの方が本音であることも…)
・(清子小母さまの娘の呼び方)「祥子さん」
・柏木「気がもめるよね」:(「祥子さん」と祐麒が呼んだことにいらついていたことが先にあってから)〜先に宝船を作り終わっていた祥子さまが、遅れた祐麒に付きっきりで折り方を教えていた。/「気がもめるよね」/柏木さんはさらりと言ってくれたけど。その意味は計り知れない。Pp.234(そこが大事なんです!!!by森薫)
「涼風〜」では、
・「僕は脱がすのは好きだが、脱がされるのは苦手なんだ」Pp.217(……)
・「祐巳ちゃんに、ここまでやらせなきゃならないなんて−」同上
・祐麒「今、祐巳と!?」/柏木「うん。彼女、本当にいい子だね」Pp.221
・「かわいそうに」:(柏木「そうか。気がつかなかったのかい。かわいそうに」/祐麒「かわいそう?」/(祐麒モノローグ)この人は、何を言っているのだろう。必死で探している相手とすれ違って、気がつかないわけがないではないか。(そこが一番大事なんです!!!)
2005/02/18 18:16:21〔投稿者:冬紫晴〕
補足:柏木は、「なかきよ」時点で祐巳が祐麒の姉であることを知らなかったとは思えない、ということです…
2005/02/19 01:22:40〔投稿者:アルス〕
瞳子ちゃんの両親がどなたかは分かりませんが、『特一』での娘の晴れ舞台(「若草物語」の劇)に彼女の家族が誰も観に来なかったのは、何だか切ない気分になりました。 もしかすると、瞳子ちゃんの学園祭チケット5枚は柏木さんに渡ったのかもしれませんね。
2005/02/19 18:38:51〔投稿者:はちかづき〕
柏木氏を含む小笠原の人々が福沢姉弟に弱い理由についてなんですが。既出でしたら失礼。
まず、これはくりくりまろん様がご自身のブログの「特一」の感想の④の中で述べていらっしゃった事ですが、祥子さまはまるで心に鎧を着込んだかのような強い「構え」を持っています。
ここから先は私の考えなのですが、この「構え」は、「女優」の瞳子ちゃんやいつでも王子様な柏木氏の心にも存在しています。こういった「構え」は、心を支え、守り、また揺るぎない自己と的確な行動を保障してくれます。
しかし、時として「構え」は自らの心を押し込め、心の働きを制限する物となってしまいます。
「百面相」福沢姉弟は、そのような「構え」による心の制約が著しく弱く、おかげで思ったことは全部顔に出てしまうし、いまいち落ち着きもありません。しかし、彼らのそういった素直さ、率直さが、「構え」を持つ小笠原の人々やひねくれものの佐藤聖の目には好ましいものに映るのでしょう。
「構え」がいつもマイナスに働くわけではありません。しかし時には重い鎧を脱ぎ捨てて一休みしたい時もあるわけで。「構え」に縛られない福沢姉弟が相手だからこそ、いっとき「構え」を忘れる事が出来る。それが小笠原の人々が福沢姉弟に弱い理由なのだと思います。
また、福沢姉弟の魅力をよく知っている柏木氏と違い、瞳子ちゃんはそのことに無自覚なため、祐巳の予想外の行動に「調子狂いっぱなし」になってしまうのではないでしょうか。
祥子さまに祐巳がぴったりはまった理由に関しては、もうちょっといろんな理由があるんでしょうけど、それはまた別の話ですね。
>冬紫晴さま
もし柏木氏がユキチの魅力を知った上で、「全く同じような味を持つ、顔もよく似た女の子」に出会ったのだとしたら、それ相応の反応を示したはずだと思います。しかし無印において柏木氏は、祐巳のことを「山百合会のお迎えの人」としてしか認識しておらず、それ以上の関係は発生しませんでした。ですから無印の時期においては、柏木氏はまだ福沢姉弟の魅力を知らず、祐麒の事も単なる生徒会の後輩の1人としてしか見ていなかっただろう、というのが私の見解です。
2005/02/20 19:37:56〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。メインPCが壊れまして(泣)修理中なので、短めに。
>はちかづきさま
おお、なるほど。納得できるし面白いです。順番がどちらでもよいのですよね、確かに。福沢姉弟の魅力には待てしまったのも、その理由も慮ることもできるし…思うに、「無印」での祐巳(ちゃん)の「柏木さんじゃだめなの!」は、彼にとって衝撃も大きいし、面白かったのではないかしら。(後付で、祥子の様子を見て取ったことも)で、「略して〜」では、「偉大な先輩」扱いせず、歯に衣着せず「いつでも頭の中がお祭り騒ぎ」呼ばわりする祐麒がいて、表情(=顔)も含めて、福沢姉弟は、やはり面白いのではないかと。だとすれば、祐巳、祐麒、どちらに先に会ったかにかかわらず、つかまってしまう結果には変わりないような気がいたします。
2005/02/21 11:16:59〔投稿者:くりくりまろん〕
柏木氏は決して自らの権力を高めることだけを考える孤独な野心家ではなく、はっきりと守るべきものを持ち、守護者としての役割を全うしようとしているのではないかという見方も可能と思います。可能であるというだけで決め手はありません。強いて言えば、祥子たちに尽くしているように見える数々の行いです。
すなわち私の柏木氏に対する見方はワトソン様に近く、しかもとても純粋なところがあるのではないかという「自分本位派」の中の「純情派」です(笑)。朱夏さまの
>一般的に「家」をめぐる問題は、個々人の恋愛感情とは全く別の所にあります。この視点から考えると、柏木は、やはり祥子を守ろうとしている様に見えます。
を一歩進めて、むしろ祥子などを守ろうとする意思が柏木氏の根本にあるのではと考えたいのです。
人間関係の持ち方や行動指針について、はちかづきさまの
>上記のような視点に立つと、柏木氏がまさに王子であることがわかりますね。
の①〜③は、次のように言い換えることができるのではないかと。そして、彼の中では人々というのは全て3つのうちのどれかに分類できてしまうのです。
①自らの身を盾にしてでも守り、盛り立てなければならない家族や身内。そして最も大切にしているものです。
②外敵、あるいは将来敵となり得る外敵候補。
③①の目的に適う、協力者または協力者候補。
①は作品の中で名前は出ていない親族であり、祥子、瞳子、清子小母さまもこれに加わります。瞳子ちゃんが柏木氏になついているように見えるのは柏木氏の意思を良く知っているからであり、それは柏木氏に失望する前の祥子の姿でもあります。祥子の柏木氏に対する感情は、敬慕というものに近かったのかも知れません。
③には花寺の後輩たちが入ります。良家の子弟が多いところで影響力を持っていれば将来役に立つので、後輩が学園内にいる限りちょこちょこと顔を出して渡りをつけておくのです。嫌味くさく押し付けがましいと同時に洗練されている柏木氏の立ち居振る舞いは、多くの人を引き付けることができます。推理小説同好会の失敗に関する振る舞いには統率力が感じられますが、仲間というよりはどうしても手駒扱いしてしまう傾向はあるのかも知れません。
「子羊」で示された嫌悪感は、確かに余裕のある立場だからこそ言えることでもあり、今まで敵が多かったことにも由来するのでしょう。加えて好意的に解釈すれば、力を求めるのは柏木氏にとっては目的ではなく、①のための手段にすぎないので金持ちの間での嫉妬やへつらいを軽蔑しきることができるのです。
しかし、その守りたいという意思の根本は純粋でも奇妙な表れ方をすることがあります。
《無印》で祥子を著しく傷つけたという、外に恋人を作って子供を産めば良いという考えは、柏木氏にとっては苦渋のものであると同時に本気で最善のものとして選択したのだと思われます。祥子にしてみれば「男しか恋愛の対象にならない」だけならば悲しくは思っても憎むことはありません。また逆に、小笠原グループを維持するための道具としてのみ祥子を扱おうとしているのなら、憎んで柏木氏を切り捨てれば良いのです。
(好きだったことを知らないという事情もあって)祥子のためにも最善のものとして柏木氏が確信していることが許せないのであり、同時に未だに未練がましく見えるのも、柏木氏の動機は純粋なことを知っているからと思われます。このようにして見ると、スタイルとして確立された「さつさつ」での振舞いよりも《無印》での悪役風の言動の方がむしろ柏木氏の真情が良く現れていると取れます。…柏木氏に祥子の好意が伝わっていなかったこと、それにもかかわらず柏木氏を責めていることについて祥子にも微かに落ち度があったのではないかというのはまた別の話です。
祥子が心を凍てつかせたような育ち方をしているのは愛情に恵まれなかったからではなく、むしろ十分に与えられながらもその中身がはなはだズレていて自分が理解されているとはなかなか思えないという、言わば二重拘束の状態で身動きが取れなくなっていたからではないでしょうか。期待に答えて習い事に過剰に励むというエピソードは示唆的です。
このズレ具合は柏木氏に端的に現れており、理解しようとしてもできないのです。そして「うちの家系の男はみんな」人の気持ちが理解できないと槍玉に挙げられている以上、小笠原融もそうなのでしょう。祥子を十分に可愛がり、祥子もそれをよく知っていて父親が好きなのですが同時に理解はされていないのです。その点、水野蓉子や祐巳が現れたことは大きいと言えます。
さて、祐麒や、祥子にくっついている祐巳は自動的に③に分類されるはずのところ、①〜③のどれにもあてはまらず柏木氏は戸惑ってしまったのではないかと思います。冬紫晴さま、はちかづきさまが詳しく述べられている通りです。何かの線引きが行われているところに現れ、易々と無効化してしまうのが福沢姉弟の特徴なのでしょうね。
以上のようなわけで、柏木氏の魅力は、十重二十重に隠蔽されて歪んではいるけれども確かに存在する純粋さにあるのではないかと思っています。
2005/02/21 23:14:01〔投稿者:はちかづき〕
>くりくりまろん様
柏木の純粋さや祥子の置かれた境遇についてなど、相変わらず冴え渡っていらっしゃいますね。見習いたいものです。
柏木氏の活躍する3つのステージについてですが、僕としては柏木氏と他の人々の間の関係を重視して分類しています。
①は柏木氏が何のバックグラウンドも無い一個人として、別の個人と結んでいる個人的な関係。
②は上流階級の人々のルールのもとでの、敵味方両方に対しての、政治的な関係。
③は花寺の最高権力者として、部下・後輩との間に結んだ報恩と忠誠の関係。
祥子さまとは①と②の関係を、祐麒とは①と③関係を、時と場合によって使い分ける事となります。また、無印における山百合会との関係は、花寺とリリアンの外交と言う意味で③の変種とみなす事が出来ますが、一方で「なかきよ」などでの聖さまとの関係や、「パラさし」での蓉子さまとの関係は、①であると言えます。(この話題とは直接関係ありませんが、柏木氏は聖さまや蓉子さまの事はかなり好きなんじゃないかと思います。向こうには嫌われているでしょうけど。とはいえ確たる根拠があるわけではございません。)
さて、人間は状況によっていくつもの顔を持つものですが、それゆえに混乱が起こったのが祥子様との結婚問題です。結婚とは①個人的な問題であるとともに、小笠原では②政治的な問題でもあります。「人の心が分からない」柏木氏はこれを読み違え、100%政治的な取引をもちかけて、祥子さまの心をひどく傷つけてしまったわけです。この場合、祥子さまが恋愛感情と言う極めて個人的な感情を、柏木氏に対して抱いていた事が事態を悪化させてしまいました。
また、僕の分類の仕方では福沢姉弟も①の個人的な関係の中に含みます。しかし柏木氏との関係に限定しなかった場合、「子羊」における祐巳の行動は、金持ち同士の見栄の張り合いと言う②政治的な関係を、歌声ひとつで本来の①個人的な関係、つまり京極の大奥方の誕生パーティーへと引き戻してしまったと言う点で、「線引きを踏み越えた」と言うことができると思います。このケースは、対個人ではなく、②の論理で動く一つの状況全体を、一度に①の論理に作り変えてしまったと言う点で稀なものであると言えるでしょう。
ところで、柏木氏の叔父である小笠原融氏は、よほど仲が悪くない限りは、柏木氏の手本となっただろう人物です。僕としては、柏木氏が①②③すべての状況で貫いている「王子様スタイル」は、あるいは彼の影響によるのではないかなどと憶測を重ねているのですが、その融氏を含め、小笠原の男性の多くは女性関係においてもかなり旺盛な活力を持っているそうです。それに対して自分には女性を愛する能力が無いと知った時、柏木氏がどう思ったのか。またそれでなくても同性愛者であることをそう簡単に受け入れる事が出来たのか。作中には描写が無いので、個人的には、柏木氏に関してもっとも知りたい点となっています。もちろん柏木氏が同性愛者ではない可能性だってあるわけですが。
2005/02/22 13:38:27〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。>はちかづきさま 同性愛者ではないにもかかわらず、女性を愛することができない、能力がないとしたら?その可能性は作中に示されているかどうかを、拾ってみたいものです。
2005/02/23 08:04:34〔投稿者:くりくりまろん〕
>はちかづきさま 一個人としての関係は柏木氏にとってとても貴重なのかもしれませんね。
柏木氏については一つのイメージを持っておりまして、いわゆるマザコン型の同性愛者というのが一番近い気がするのです。以下、想像が大分混じります。
小笠原家が父系家族で男性が幅を利かし、清子小母さまのような古風で上品な女性が犠牲になってしまうのと逆なのが柏木家です。柏木氏のところでは母系家族で、母親か祖母かおばさんかはわかりませんが強い女性が幼少の頃から柏木氏に厳しく、しかし隅にも置かぬ持ち上げぶりで躾けていたのでは、といった想像をしています。関連のありそうなこととして…
・女性を傷つけることは柏木氏にとってとんでもないことで、「さつさつ」では祐巳に平謝りです。
・清子小母さまのような年上の女性がどうしたら心地良いのか、良く知っているしサービス精神を発揮することもできます。
・絶えず注意を注がれているおかげで優秀ですし、丁重な扱い振りによって強い自信ができて野心家の卵になります。でもそれが良い方向であれば「理想の高い人」であって正しいことを貫くエネルギーを持ち、自らを捨てて何かに尽くすことになります(その差は紙一重です)。同時に、自分の正しさを疑わないナルシスティックなところも出てきます。
そして冬紫晴さまが述べられている
>臭いがしないことが男性同性愛者を指すとは限りません…対女性恐怖症によっても起こりうるのです
には深く肯くところがあります。男性性を強い女性によって挫かれたようなところがあるのではないでしょうか。上下関係のある女性や一定の役割の中にいるときは大丈夫なのですが、厳しい目を離れて一対一の男女のこととなると…。わざわざ祥子さまに言いに来たときは、忸怩たるものがあったかもしれません。融氏に対したときの柏木氏には複雑な思いがあると思います。公私ともども手本ではありますが、単に融氏のようになりたいというものではないでしょう。
祥子さまも柏木氏も「家」の呪縛に捉われているというふうにも取れます。江利子さまは山辺氏を仲立ちとして一騒動の末、ある程度呪縛から開放されています。しかし祥子さまや柏木氏の場合はほぼ不可能と言えるほど困難を極めるのではないか、と思っているところです。
2005/02/25 19:51:43〔投稿者:バルミラ〕
 個人的には、柏木家(優の育った環境)には特に問題がないのではないかと思います——母親は手のかかりそうな人なのではないかと想像してます。なにしろ祥子の伯母ですから——。
 むしろ、環境的にも当人の能力的にも生まれた時から恵まれていて、あらゆるもの——それこそ美人の婚約者まで——が欲しいと思う前に手に入ってしまうことが、柏木優という人間を形成する原因になったのではないでしょうか。
 欲しいものが何でも手に入ってしまう以上、得るために個々の人間と関わる必要性はなくなってしまいます。それでも人と関わろうとすれば、与えることしかありません。彼は相手のために何かをする以外に、人と関わることが出来なかったのではないでしょうか。
 優は表面的には八方美人で馴れ馴れしい人間に見えますが、実は彼の立場からすれば必ずしも全ての人間に好かれたり関わったりする必要はありません。むしろ彼が誰とでも関わるのは相手にとって必要なことだと考えます。
 仮に、彼のように美男で、頭が良くて、何でも出来て、生まれのいい人間が、他人に対して愛想のない態度をとったらどうなるか。そのことだけで、相手は自信を喪失してしまうでしょう——特に女性は——。彼の一見、節操のない愛想の良さは、むしろ他者を守るためにこそ必要なものだったのではないでしょうか。
 ただ、彼が常に他者にとって望ましい者になれるとしても、彼は一人しかいない以上、一度に二つの存在にはなれません。その場合、彼は親しい人間よりもそうでない人間を優先するような気がします。例えば「パラソルをさして」での彼の王子様ぶりは、祐巳や蓉子にはえらく不評でしたが、リリアンの生徒一般——代表としては桂——には大うけでした。
 それと、要求が一人の人間からでもそれが矛盾していれば、やはり両方には応えられません。
 かつて、彼は祥子に対して「父親の代役」として問題なく接していました。しかし、そこに婚約者——あるいは恋人、将来的には夫——として役割も要求されましたので、話が面倒になってきます。仮に彼が同性愛者でなく、また祥子に好意を持っていたとしても、この状況は厄介でしょう。
 ここで書いた仮定が正しいとするならば、優はしないでもいい苦労をわざわざしていることになります。いや、むしろそれくらい率先して苦労を買わないと、生きていてやることがないのかもしれません。あるいは、それこそが柏木優という人間の問題点なのでしょうか。
2005/03/02 01:23:25〔投稿者:管理人〕
様々なご意見ありがとうございました。
あまりに深いので、それぞれのご意見にコメントを返せないことをお詫びします。
さあ〜て、次のネタは何にしようかなぁ・・・(ぅぅ、ネタ切れ 涙)。
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痛くもかゆくもない    - 05/02/13 -

今回は、このコーナーを始めた当初から書こうと思っていたけれど、ついつい先送りしていたネタ「柏木氏について」です。

柏木氏に関するおもなエピソードは・・・
「無印」銀杏王子
「長き夜の」小笠原邸合宿
「パラソルをさして」ネズミの御者
「子羊たちの休暇」この場をぶっ壊してやろうか
「真夏の一ページ」柏木邸にて
「涼風さつさつ」土下座
といったところでしょうか。

私のイメージする“柏木優”像は、祥子さまの証言をベースとした小説で表現されている通りのイメージです。つまり「悪い人ではないが自分本位でそれを自覚していない、他人の気持ちが理解できないし考えようともしない」です。女性観は前時代的で、はっきり言って身近にいたらお友達にはなりたくありません。
これだけだと悪い面ばかりになってしまうので、他のエピソードからわかることを付け加えると「優秀で、誠実で、優しくて・・・」まあ、ほかにもあるでしょうが文字通り「悪い人ではない」のです。

「無印」銀杏王子
柏木氏は、祥子さまは自分と婚約することが祥子さまにとって最良の選択だと思っています(自分にとっても悪くない選択だと思っているでしょう)。そして、最良である以上それを遂行するべきと考え、その点に関して他人(祥子さまも含みます)の意見は考慮すらしません。

「長き夜の」小笠原邸合宿
柏木氏は女性に優しい、しかも男性同性愛者ということもあって、ありがちな裏(下心)がありません。ある意味(過剰なほど)さわやかな優しさでもあります。
祥子さまの嫌いな寿司ネタを取り替えてしまうのも、ごく自然にでる行動なのでしょうが、逆に言えば「祥子さまの偏食をなんとか直せないか」というような発想はまったくない訳です。

「パラソルをさして」ネズミの御者
173ページに重要なキーワードがあります。
蓉子さまと柏木氏と祐巳の間の会話で、柏木氏の「山百合会の幹部は男にやさしくない」に、蓉子さまが「それは相手があなただから」と返し、祐巳が「柏木さんに嫌われても、痛くもかゆくもないからだと思います」といいます。
柏木氏の周りには「柏木氏に嫌われることは、痛みが伴う」という立場の人間ばかりなのです。おそらく物心ついた頃はすでに「将来、小笠原グループの中心に立つ人物」と目されていて、周りの人物たち(その家族も)は「将来の上司に嫌われることは絶対にさけなければならない」という立場のひとばかりなのでしょう。
柏木氏にとっては当たり前のことなのですが、それは柏木氏の罪ではないし、根が誠実なので「そういう偏った環境にも関わらず、ひずみがでないですんでいる」のでしょう。

「子羊たちの休暇」この場をぶっ壊してやろうか
このエピソードで、柏木氏は祐巳に「金持ちのコンプレックス」について解説していますが、それだけわかっているなら「自分の周りの人たちの気持ちももっと考えたら」といいたい(笑)!
「この場をぶっ壊してやろうか」という台詞は確かにかっこ良くも聞こえますが、柏木氏にとってその場に居合わせた人たちは「嫌われても痛くもかゆくもない」人たちだから言えることでもあります。仮に柏木氏がもう少し弱い立場であったとしても同じことが言えたなら、文句なくかっこいい台詞なんですけどね。

「真夏の一ページ」柏木邸にて
このエピソードでは、やっぱり柏木氏は祥子さまの気持ちをぜんぜんわかっていないことがわかります。男嫌いのことを聞いて「小笠原家どうしよう」なんですから。

「涼風さつさつ」土下座
このエピソードで、柏木氏を見直したという読者もけっこうおられるでしょう。
柏木氏は常に(現在も将来も)人の上に立つ立場の人間なので、後輩(部下)の不始末でも自分に責任があるという法則が身に付いています。ですので、まず自分が誠意を持って謝罪しなければならないと考え、祐巳に土下座するわけです。
この土下座ですが、上位から下位への謝り方でもあります(逆の立場で土下座なんかしても効果ありません)。しかもこの場合、慌てふためくのは(祐巳ではなく)推理小説同好会の後輩たちです。この「大先輩に土下座までさせてしまった」という事実は一生ついて回ることでしょう。そして、将来、何かのときには柏木氏のために無条件で(喜んで)働いてくれることでしょう。
これが計算ずくの行動なら、鼻持ちならないことこの上ないのですが、柏木氏の場合、純粋に誠実な性格からの行動なので、ある意味、さわやかでもあります。

というわけで、私の柏木氏に対する評価は「上に立つエリートとしては(女性観を除いて)理想的」ではあるが、お友達になるのは遠慮したいという感じです。古くさい女性観だけでも改めてくれれば、かなり見直すんですけどね(祥子さまとの婚約解消が大前提ですが)。
では、柏木氏はずっとこのままで変わらないのでしょうか。
変わる可能性はあるでしょう。もちろん、変えるのは祐巳です。

(柏木ファンのかた、ごめんなさい。反論もあるでしょうがどうかお手柔らかに。汗)
2005/02/13 15:16:20〔投稿者:はちかづき〕
根拠のある話ではないのですが、柏木氏の「女性観」が古臭いのは、彼が王子様的に振る舞うために、「エスコートされる女性」が必要だからではないでしょうか?基本的に、柏木氏の個性は彼の欠点ときわめて強く結びついています。初登場時に悪役だったせいかもしれません。
ですから、柏木氏が作品の中で救われるとしたら、それは「変わる」時と言うよりも「自分の欠点に自覚的になった」時だと思いますね。また、そんなことがあるとすれば、きっかけはたしかに福沢姉弟でしょう。柏木氏にとっても彼らは特別な存在なようですし。「真夏の〜」で物陰に潜んでベストな出どころをうかがっている柏木氏を想像すると爆笑できます。
ところで、「友達になりたくないキャラ」No.1の柏木氏ですが、ホントに友達いないんじゃないでしょうかね?同年代の男子が出てこないのは仕方ないとしても、卒業したはずの高校に顔出し過ぎだと思います。立場の近い蓉子さまや、同類の聖さまも、本来友達の多いタイプではありませんし。あれで意外と孤独な奴なのかもしれないと思ったりもします。
2005/02/13 23:00:11〔投稿者:アルス〕
瞳子ちゃんと柏木さんとの関連性をどなたか教えて頂きたいのですが(私自身、古典に弱いので・・・)、源氏物語の光源氏や柏木だの、薫etcいまいち
2005/02/13 23:01:47〔投稿者:アルス〕
わかりにくいので、どうかお願いします。(自分で調べるべきなのでしょうけど)
2005/02/14 19:31:26〔投稿者:バルミラ〕
 これまた見事なまでに解釈が正反対ですね。個々の問題について論ずるのも楽しそうですが、その前に解釈が異なる理由の方から掘り下げてみましょう。
 私は柏木優という人間を考える際には、祐巳の意見を信用しない事にしています。
 祐巳は本来、偏見の少ない人間で、相手の実体が自分の先入観と違ってもあっさり受け入れます——無印の志摩子や「黄薔薇革命」の由乃——。
 しかし、そんな祐巳でも祥子が絡むと話が変わります。過度に祥子を評価する——「パラソルをさして」以前——一方で、自分と祥子の関係を阻む存在に対しては敵意を抱きます。
 困った事に、祐巳は祥子と出会うまでは、何かを強く求めた事がなかったので、そういった感情と理性の折り合いのつけ方が上手くありません。それでも道義的にしっかりしている祐巳なので、なるべくその感情を抑えます——蓉子の場合など——。しかし、そこで相手に何らかの咎があると、その感情を抑えるものがなくなって、噴き出してしまいます。
 優に関してですが、そもそも「祥子の婚約者」という存在自体が、祐巳にとってはありがたくありません。逆に言えば、優が祥子の婚約者として相応しくない方がありがたいのです。そういう状況で、優が祥子を泣かせて、祐巳の願望に正当性を与えてしまったのです。さらにそこで祥子から、優に対する非難を切々と聞かされれば、祐巳の優に対する印象は固定されてしまうでしょう——当然、そこで聞かされたのが祥子の側からの言い分に過ぎない事は、意識から落ちています——。
 「マリみて」の大半はそういった祐巳の視点で書かれています。三人称なのでわかりにくいですが、そこには祐巳の偏見や願望が混じっているのです。しかし普段の祐巳は、むしろ客観的にものが見れる人間なので、その事が目立たず、それ故にたまに入る偏った意見も事実として受け取られてしまうのでしょう。
 もちろん、祐巳の意見が100%正しいと言えないからといって、100%間違っているとも言えません。それでも、こと、柏木優に関しては、祐巳の意見の上に理屈を積むのは危険だと思います。だから、私は優に関しては、彼の置かれた(生まれや容姿や能力などによって決められる)立場から考える事にしています。(とりあえずここまで)
2005/02/15 23:07:25〔投稿者:朱夏〕
>アルス様:柏木優、小笠原祥子、松平瞳子の続柄を整理します。
1)「祥子さまの父親の姉の息子が、柏木優」(無印・221p)
2)「祥子お姉さまの、お父さまのお姉さまの旦那さまの妹の娘が私(瞳子)」(チェリブロ・145p)
特に2)の、瞳子ちゃんの説明がひどく分かりにくい。これを聞いて一瞬で、祥子さまと瞳子ちゃんが赤の他人と見破った由乃さんは、確かにすごい!(チェリブロ・145〜146p)
よく見ると、なるほど祥子と優、そして優と瞳子は、それぞれ従姉妹同士ですが、祥子と瞳子はかなり遠い親戚になります。
レディGO(179p)で瞳子ちゃんは、祥子の父、融(とおる)を見つけて「小父さま」と呼びかけているけど、当然、「伯父さま」でも「叔父さま」でもない訳です。
ちなみに、言葉で書くとややこしくなりますが、小笠原家の融に嫁いで来たのが清子でその子が祥子。小笠原家から柏木家に嫁いでいったのが融の姉で、その子が優。柏木家から松平家に嫁いでいったのが優の父の妹で、その子が瞳子と言うことになります。
う〜ん、ますますややこしくなったかな? 上記の1)と2)を元にして、系図に書いてみると一目瞭然です。
ところで、パラソルの巻で亡くなった祥子のおばあさまは、清子の実母だったのでしょうか? それとも、融の実母だったのでしょうか? 何となく文脈の感じからすれば、清子の実母っぽいのですが、そこがどうも未だにはっきりしません。ちなみに清子の旧姓は、「菊なんたら清子」(インライブ・p200)。
「マリみて」の登場人物は多くが女性なので、結婚すればたいてい他家に嫁いで姓が変わっています。なので、非常にややこしく感じます。
2005/02/16 00:37:32〔投稿者:アルス〕
>朱夏さまへ 表面上の家系図は私も何とか理解出来てはいるのですが、何せ小笠原家の男性たちが外で何をしているのかがまだ謎だらけですからね(笑) 実は柏木さんの母親も実は浮気しているのでは!?とも私なりに勝手に想像ごっこ(笑)しては楽しんでいます。 柏木さんは柏木さんで「ナルシスト」な所を直していけば女性にはモテるタイプ(笑)ですから、将来はきっと幸せになれると思います。
2005/02/16 04:00:01〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。
一つ言えるのは、「マリみて」が特殊な一人称視点により、隠されている部分は読み手に誤解させたままにしておくことが可能な文体を採用しているということでしょう。一人称視点の主人公に選ばれていない人物が何をどう感じたか、何を考えているかをすっかり隠し、虫食い状態にするのが楽なのです。それを最大限に利用したのが「レイニー」「パラさし」でありましょう。「ジョアナ」が発表されて、瞳子ちゃんの温度の低さに驚いたという方も多かったですよね。「無印」においても、実際にどのようなやりとりがあったのか、どのような状況だったのか、ほぼすっかり抜けてしまっています。
特に柏木氏は、何を考えているのか、実際にはどういう人物なのか、まるでわからないというのが実情です。彼の状況についての記述は、作中であっても、そのほぼすべてが憶測に基づいているものです。
彼が祥子との婚約に関してどう思っているのか。彼が男性同性愛者であるのは本当のことなのか。それすらも断定不可能です。(着ぐるみパンダはなぜ、祐麒ではなく祐巳を選んだのか)
彼の自己申告もまた、瞳子ちゃん同様に嘘をつくのが非常にうまい、さらに相手の誤解を利用してその通りに装い、正体を隠す方法にも長けていると感じられるため、信用ならないのです。
その点から、バルミラ様同様の視点を採用しています。
例えば、こう解釈できるのです。
>おそらく物心ついた頃はすでに「将来、小笠原グループの中心に立つ人物」と目されていて、
そのために、小笠原父子の目の届かないところで、幼い頃に完膚無きまでに叩き潰してダメ息子にしておけば、小笠原グループの実権を奪い取ることが容易になります。社長(祥子)を奪うことも可能です。彼を何らかの手段によって支配下においてもいい。まあ、彼の能力からすれば、ほぼすべて返り討ちにあっていましょうが…
可能性として、彼は(瞳子ちゃんも)幼い頃、「子羊〜」における祐巳と同じ立場にあったと考えることも可能だということです。周囲には敵しかいない。おそらく、同様の立場にあった瞳子ちゃんあたりをのぞいて。
>アルスさま
>何せ小笠原家の男性たちが外で何をしているのかがまだ謎だらけですからね(笑)
このことから、小笠原祥子−柏木優−松平瞳子の血縁図において、彼らのうち誰かが異母きょうだいであるという仮説も浮かんできます。もし瞳子ちゃんが…以下略「してOK〜
2005/02/16 09:26:24〔投稿者:朱夏〕
祥子・優・瞳子の関係は、その親世代で見てみると、小笠原家の姉弟と、柏木家の兄妹の関係でもあります。そうした関係をさらに勘ぐってみれば、瞳子が実は、融と柏木妹との子供だったなんてありそうです。だとすれば瞳子の「祥子お姉さまぁ」の意味も大きく変わってきますね。しかし、そこまで想像して考えて良いものか…。(>o<)ドロドロだあっ!
2005/02/16 09:29:21〔投稿者:朱夏〕
>「子羊たちの休暇」この場をぶっ壊してやろうか
私は、普段は冷静な柏木が、この時に何故こうもいらついたのか、ずっと不思議に思っていました。この点、冬紫晴さんのご意見、
>彼は(瞳子ちゃんも)幼い頃、「子羊〜」における祐巳と同じ立場にあった
は、説得力があります。
小笠原家を巡る思惑は、かなり複雑なものと思えます。この点、「ほぼすべて返り討ち」(冬紫晴さん談)にしてきた柏木と、「いつも何かに怒っている。見えない何かと戦っている(Answer,p130)」祥子とは、言ってみれば共通の敵に向かう戦友みたいなものです。少なくとも、柏木の祥子に対する認識は、そうだと思います。
一般的に「家」をめぐる問題は、個々人の恋愛感情とは全く別の所にあります。この視点から考えると、柏木は、やはり祥子を守ろうとしている様に見えます。(それが柏木の野望の結果であったとしても。)その事が彼に、「真夏の一ページ」で「小笠原家どうしよう」と言わせたとも考えられます。
ですから祥子に、「悪いけど、男しか恋愛の対象にならない」(無印・230p)とうち明けた柏木は、考えようによっては誠実だったのかも知れません。女心からすれば、全く無神経ではありますけどね。
「マリみて」ファンの大ブーイングを覚悟で言わせていただければ、私は、柏木氏と祥子との結婚は、ある意味、論理的だと考えています。そして祥子も、どこかでその事を十分に理解しているのではないかと考えています。でも、それを言えば間違いなく、祐巳はグレるでしょうね。(笑)
2005/02/16 10:08:08〔投稿者:朱夏〕
(以下、妄想)
 祥子「祐巳っ! どういうこと? あなたのポケットの中のタバコとライターは。 ちゃんとこの私に、説明なさいっ!」
 祐巳「お姉さまっ! お姉さまが、『優さんと結婚しても良い』なんて言い始めたときの、心の準備ですっ!」
2005/02/16 10:48:01〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。
柏木氏の捉え方ですが、小笠原父子の祥子の評価「自分本位で、本人にその自覚はない。他人の気持ちを理解できない、しようともしない、ただ、悪い人ではない」というのは、彼には妥当でないと考えています。(むしろ、山百合会に入る以前の祥子には当てはまるかもしれませんが…描写はありません。これは憶測です)
「相手の気持ちを察するが、基本的に誠実に対応せず、リスクとメリットで反応を考える、用意周到な悪党」だろうと。彼は「悪い人」だと。「ジョアナ」に現れた、瞳子ちゃんの姿勢に近いのではないかと考えます。
それ故に、誰も信用していなかったかもしれません(その点は祥子や瞳子ちゃんにも言えるでしょう)。福沢祐麒が彼の前に現れるまでは。彼の、福沢姉弟に対する思い入れは、切実であり、深いものなのではと感じるのです。だからちょっといじっては、祥子を任せたいという本気とも冗談ともつかないことを軽く口走るのかと(「略して〜」)。祥子が祐巳にぞっこんなのをみれば、「自分では駄目で、祐巳なら」という(「無印」参照)というのは思い知らされてしまっており、また彼自身、祐麒にも祐巳にも惚れ込んでいる様子がうかがえることから、彼らに任せたい(甘えたい)というのは、彼の本音にも感じられます。
>朱夏さま
はじめまして。
>柏木氏と祥子との結婚は、ある意味、論理的だと考えています。そして祥子も、どこかでその事を十分に理解しているのではないかと考えています。でも、それを言えば間違いなく、祐巳はグレるでしょう
確かに論理的ではあり、合理性という意味では理解できましょう。しかしそれ故に感情、感覚としてはとうてい納得できますまい。そしてそれは、祥子にとっても、柏木にとっても同じなのかもしれません。清子小母さまを見てきていますからね、二人とも。
彼らもまた、踏みとどまっているように見えていてそうではなく、育ちのよいやり方で歪んでいるのではないかしら。柏木には、それは性格の悪さ(言葉の裏の毒)として現れ、祥子には黙って怒りをため込むように現れた。「Answer」での祥子の受け答えが、自分のことを話しているはずなのに、完全な他人事として話すのも興味深いところです。感情がありません。(感情が出てこないのが基本だったとすれば、「お姉様方の意地悪!」まで行き着くのがどれだけ大変な道のりだったろうか)そういえば、感情が出ない(演じられている)という意味では、瞳子ちゃん(祐巳の前を除く)や、柏木(福沢姉弟の前を除く)にも共通していますでしょうか。
彼はホストのような(上っ面の)艶っぽさがありながら、男臭さが感じられない気がします。祐麒ですら、ある程度の「男らしさ」を持っているのに、です。(それでも祥子が恐怖感を覚えないのが、彼の特殊な性質といえる。臭いがしても気にならない、気にさせないという)臭いがしないことが男性同性愛者を指すとは限りません…対女性恐怖症によっても起こりうるのです。それを克服する一つの手段として。
瞳子ちゃん、もしかしてそれで、可南子ちゃんの状況を…(「レディ、GO!」)うおぉ 止まらないんですよ、これは。作中にもその種がうようよと…
2005/02/16 10:50:55〔投稿者:冬紫晴〕
あ。柏木氏は「誰も信じていなかった」わけではないですね。何人かいるでしょう。清子小母さま。瞳子ちゃん。さっちゃん。そこに福沢姉弟の登場と。
2005/02/16 10:56:39〔投稿者:冬紫晴〕
追伸…例外に「さっちゃん」を入れましたが…果たしてそうなのか…
2005/02/16 11:00:00〔投稿者:バルミラ〕
 祥子、優、瞳子のうち二人、または全員が異母きょうだいというのは、真相としても物語としても面白いと思います。ただ「マリみて」の世界はそういうドロドロした要素を除外した上で成り立っているようなので、実際にはないでしょう。融やお祖父さんの女性関係も、本当に(聖から得られる情報ほど)乱れているかどうか。お祖父さんは奥さんをずいぶん前になくしている(「パラソルをさして」p170)という事実は一つの反証になるかもしれません。
 テーマ的な問題から、ありえそうなのは祥子の異母姉妹の登場でしょうか。ただ、それをやるのなら、可南子こそがそうであるべきでした。実際、「紅薔薇のつぼみの不在」まではそれらしい雰囲気がありましたし。
 諸々考えると、「隠し子」「不義の子」というネタはやらないのではないかと思います。
 あと、祥子と瞳子が遠縁の親戚——従兄の従妹——という関係以上に親密なのは、双方の母親同士がリリアン在学時代にスールだったからではないかと思っています。あまり根拠はありませんが。
2005/02/16 13:17:32〔投稿者:はちかづき〕
柏木氏には3つの顔があるって事じゃないでしょうかね。
①山百合会→片思い。大好きなのになぜか嫌われている。
②小笠原 →禄でもない所と知りつつ、しかしそこが彼の住処であり、またその次代を任されている。
③花寺  →絶対的支配者として君臨。
大雑把に分けてこんな感じに。基本キャラクターは王子で。
2005/02/16 17:41:24〔投稿者:はちかづき〕
連荘になりますが失礼。
上記のような視点に立つと、柏木氏がまさに王子であることがわかりますね。
これが本物の王子であれば、
①プライヴェート 友人や女性関係、好意自体は本物だが傲慢な男として。
②宮廷 ドロドロの人間関係・権力争い。同族嫌悪、だが彼もまたその一員。
③領地 王子個人の裁量に任されるもの。私領・騎士団・探検隊・遠隔地貿易。統治者としては優秀。
といった感じに対応します。
また彼は少女漫画における理想化された男性像のウラとしての解釈も可能だと思います。少女漫画における理想的男性像においてわりあいポピュラーな二つ(もちろんもっといろいろな男性キャラクターが存在しますが)、まずいくら想っても気づいてくれない「鈍感」なタイプ、そして勝手な事を言ってヒロインをかっさらう「強引」なタイプ、こういったキャラクターはともに「ヒロインの気持ちを考えないし、考えようともしない」と意地悪く表現する事も可能です。無印の柏木氏は少女漫画における王子の典型の悪いところを拡大したキャラクターであると言えると思います。
ちなみに「鈍感」「強引」はそのまんま聖さまにも当てはまります。聖さまは王子様だったようです。やっぱり柏木氏とは似たもの同士なのかもしれません。
2005/02/16 20:30:28〔投稿者:アルス〕
よく女の子は「父親似」、男の子は「母親似」と言いますから、可南子ちゃんについてもいろいろ想像してみてはいるのですが・・・(だんだん、『マリみて』とは離れていっていますが、これも想像する楽しさの一つとして私なりの『マリみて』の楽しみ方です。
2005/02/17 05:42:47〔投稿者:朱夏〕
>ありえそうなのは祥子の異母姉妹の登場でしょうか。ただ、それをやるのなら、可南子こそがそうであるべきでした。
パルミラ様:いままで考えたこともありませんでしたが、大変面白い発想かと思います。
もし本当にそういう設定がなされていたら、瞳子と可南子の「天敵同士」は、かなり深刻なものとなります。そして祐巳の妹選びは、果てしない迷宮に入ってゆくことになりそうです。
ただ、パルミラ様もおっしゃっているように、「マリみて」は、小笠原家のドロドロを描くことを主目的にはしていません(たぶん)。
むしろ、リリアンにおける佐藤聖の様な人物の光源氏的状況を描いたりする事の方が、より目的に叶っていると考えています。…と言うか、それが私の個人的希望だったりします。(笑)
2005/02/18 03:14:53〔投稿者:管理人〕
たくさんのコメントありがとうございます。
続きは「続:〜」のほうでよろしくお願いします。
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主人公の座は誰の手に(笑)    - 05/02/07 -

今回のコラムはほとんど私の想像です。特に根拠がある話ではありませんが、ご容赦ください(汗)。
と、前置きで言い訳しておいて・・・(笑)

「マリみて」のルーツは「銀杏の中の桜」です。
最初にこのエピソードが雑誌コバルトに掲載された時、作者の頭の中に「これほどの長いシリーズ」になる構想があったかどうかは、解りません。
ただ、少なくとも「この魅力的な舞台設定を一回で終わりにする」つもりは毛頭なかったでしょう。
「銀杏の中の桜」(原題:マリア様がみてる)の主人公は乃梨子ちゃんです。リリアンという特殊な世界の中にひとりだけ(読者と同じ)一般人としての役回りです。ただし、一般人ではありますが、平均的とはいえません。途中入学で生徒代表になるぐらいの成績優秀者でもあります。
シリーズの中で、「銀杏の中の桜」以降の乃梨子ちゃんの存在感は残念ながらあまり大きくありません。祐巳と由乃さんの妹問題が片付かないせいもありますが、白薔薇は影が薄くなっています。
どうやら、乃梨子ちゃんは単発の主人公には申し分ないのですが、長いシリーズの主人公には向いていないようです。
そういうこともあって、作者はシリーズ開始を半年巻き戻したのかもしれません(想像に過ぎません)。

さて、その代わりというわけでもないでしょうが、シリーズ主人公に抜てき(笑)された祐巳はというと「銀杏の中の桜」では存在の気配すらありません(BGNで補完されましたが)。
祥子さまと令さまは登場していますが、単に「ちょっと恐い上級生」という感じです。
「銀杏の中の桜」の段階でしっかりとしたキャラ設定がされていたのは、「乃梨子ちゃんと志摩子さん」そして「瞳子ちゃん」ぐらいだったと思われます。
瞳子ちゃんの性格の二面性がこの段階で設定されていたかどうかは解りません。ただ、瞳子ちゃんは「いかにもサブキャラ」という感じです。物語に動きを与えるのには便利ですが、読者を共感させるキャラではありません。
ここから半年さかのぼるにあたって、自由に作れるキャラは「祥子さまと令さまの妹たち」です。そこで、より平均的な(読者と同じ目線の)キャラでしかもリリアンの世界でも平均的なキャラとして祐巳、その親友になるキャラとして由乃さんというふたりのキャラが作られたのだろうと想像できます。祥子さまと令さまはそのふたりの姉として作られたのでしょう。
(初年度の三薔薇さまは、いわゆる上級生のイメージとして作られたと想像します)

そこで、気になるのは瞳子ちゃんです。「銀杏の中の桜」の段階で存在し、未だその実態が謎だらけというのもかなり特異なキャラといえるでしょう。
私は、可南子ちゃんが登場するまでは「作者は初期段階から祐巳を瞳子ちゃんの姉として想定していた」と思っていました。
正確には可南子ちゃんが登場してもそう思っていました。可南子ちゃんは「涼風さつさつ」だけのキャラだと思っていましたから。で、その後の再登場によって「あれれ?」と(笑)。
それでも「作者が祐巳というキャラを作った時は、瞳子ちゃんと姉妹にするつもりだった」と思っていました(その後、作者が気が変わった可能性を含みます)。
でも、何度も読み返しているうちに微妙に違うような気がしてきました。
それは「作者は祐巳と瞳子ちゃんを姉妹にしようとしているのではないか」という考え方です。いきいきとしたキャラは、創作上のキャラとはいえ作者の意志を越えて動き出すものです。つまり、祐巳の妹がなかなか決まらないのは、作者が出し惜しみしているのではなくて「祐巳がなかなか決めてくれないから」ということではないでしょうか。作者は、あの手この手で妹を決めさせようとしているのに、肝心の祐巳が「まるで他人事」という感じなのです。作者は、読者同様にやきもきしているかもしれません。

しかたなく(作者は)祥子さまに憑依して「妹を作りなさい」と言ったのでは(笑)。
地引き網を引いている場合ではないよ、祐巳ちゃん。
(なんだか、コラムタイトルとあわない内容になってしまったような・・・まあいいか)
2005/02/07 03:13:55〔投稿者:アルス〕
 今野先生作『夢の宮 〜叶の果実〜』にも(それこそ『マリみて』が世の中に出回る前に生み出された作品です)志摩子さん(摩や)と乃梨子ちゃん(り果)、そして瞳子ちゃん(桃弧)の原型ともなったキャラが活躍しています。 (私の「想像ごっご<笑>」では志摩子さん、乃梨子ちゃん、瞳子ちゃんの3人の前世はきっと『夢の宮』に住んでいたと勝手に動かしていたりしますが・・・ でも、「桃弧」は「り果」が作り出した幻なので少しストーリーがおかしくなりますけどね しかも、『マリみて』と『夢の宮』との関連性は全く無い訳ではありますが)
 私としては祐巳ちゃんの妹は「先着順」を選んで欲しいわけですが、私自身はアニメで『マリみて』の存在を知った訳ですので(「運命の出会い」<笑>)、これまた複雑だったりします (いわゆる矛盾って事です) でも、瞳子ちゃんを選ぶにしても、可南子ちゃんを選ぶにしても、決して当て馬として作り出されたキャラでは無いという事はある程度予測してはいますけどね・・・ (二人とも「リリアン女学園」の矛盾を断ち切ってくれるのに必要不可欠な駒だとおもいますからね)
2005/02/08 03:39:33〔投稿者:管理人〕
瞳子ちゃんに似たキャラが「夢の宮」にすでに登場していたという話は「マリみてDB掲示板」で聞いてはいたのですが、不勉強ながら私は未だ「夢の宮」を読んでおらず、詳細は知りませんでした。志摩子さんや乃梨子ちゃん(に相当するキャラ)も登場していたのですね(笑)。
2005/02/08 22:46:01〔投稿者:アルス〕
『夢の宮 〜叶の果実〜』は今となっては注文出来ない状態なのでとても残念なのですが(この巻だけ読んでも面白い話なので・・・)、私は図書館で借りて読みました。 (『マリみて』の原作との出会いも図書館だったので、新刊「インライブラリー」はとても新鮮さを感じつつも、懐かしくも思いましたね。 (だんだん、コラムと関係無くなってきまして申し訳ありませんです)  次巻の主役は是非、1年椿組(3人娘)にスポットを当てて頂きたいと思いますね    
2005/02/10 06:04:12〔投稿者:バルミラ〕
 後に「銀杏の中の桜」になる、読みきりの「マリア様がみてる」は、どう言う経緯で作られたのか。
 私はむしろシリーズの構想が先にあって、そのシリーズの世界観が読者に受け入れられるかどうかを試すために、読みきりの方は書かれたのではないかと思っています。
 実際、あるライトノベル作家は新しいシリーズを始めようとした際、企画書を編集に持っていきましたが、それだけでは足りずパイロット版として短編を一本書いて雑誌に載せることになりました。
 「マリア様がみてる」シリーズも今でこそ人気小説ですが、その舞台設定やストーリーコンセプトが当時のコバルトの読者層に受けるかどうかは、なかなか不安だったのでしょう。
 登場人物たちの名が「夢の宮」と重なるのは、既にある今野緒雪のファン層を取り込むためだったかもしれません——あるいは単純に名前を考える時間があまりなかったか——。
2005/02/11 01:30:10〔投稿者:アルス〕
>バルミラさまへ キャラの名前に関しては『夢の宮』のあとがきに詳しく載っているのですが、この本はそこそこ大きい図書館にでも行かない限り、置かれていないのが本当に残念です。 ストーリーはとても秀逸(少し切ない話ですが・・・)なので、機会があれば一度お読み下さると私も嬉しく思います。
2005/02/11 05:02:17〔投稿者:管理人〕
>バルミラさま
>私はむしろシリーズの構想が先にあって
それは私も感じます。設定自体がシリーズ向きで一回だけの読み切り用とは思えません。ただ、(銀杏の中の桜では)祐巳が登場しない点や祥子さまと令さまのキャラに厚みがない点から、できていたのは「リリアンという舞台設定」だけだったのではと想像しています。
2005/02/14 12:27:23〔投稿者:くりくりまろん〕
>ワトソンさま
2005/02/14 12:52:54〔投稿者:くりくりまろん〕
>できていたのは「リリアンという舞台設定」だけだったのでは
に関連して、それでは「福沢祐巳が主人公になったとき」はいつかを考えると《無印》より少し遅れて『ロサ・カニーナ』の巻ではなかったかも知れないと思っています。志摩子・乃梨子以外にも焦点を次々にあてた群像小説のようにもできたと思います(実際、そのような面もありますね)。しかし「長き夜の」の題材、「ロサ・カニーナ」で「妹とは?」と祐巳が考えるシーンで祐巳がマリみての世界の中心人物であることが宣言されたのではないかと。…今野先生の構想は推し量るべくもないのですけれども。
2005/02/14 17:23:54〔投稿者:バルミラ〕
>アルスさん
 「夢の宮」は近くの図書館に揃っていると思います——「マリみて」も最初はここで借りました——。最近はほとんど貸し出し中のようですが、前から興味はあったので、折りをみて読んでみるつもりです。
>管理人さま
 あるいは、短編はシリーズの方とは別の時期の話にするつもりで——あるいはなっても良いように——作ったか。
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マリみてはミステリー小説?    - 05/02/04 -

1月のコラムがひとつだけになってしまいましたが、はたして、2月はどうなりますでしょうか(笑)。

マリみてには、物語の中のちょっとした謎を、最後までタネあかししなかったり、曖昧にしか表現していないものがあります。意識的にミスリードする(読者を誤った方向へ導く)ように書かれたエピソードもあります。もっとも典型的なのが「おじいさんと一緒」や「図書館の本」ですね。
中には、真相が解らないままになってしまう読者もいるようです。そこで、マリみての「タネあかし」をまとめてみることにします。
本当のミステリー小説(推理小説)の場合、タネあかしをネットで書くのはルール違反でしょうが、マリみての場合は問題ないでしょう。
(大部分は、あらためて書くほどのタネあかしではありませんが)
(それと、私の妄想も多少含まれています)

いばらの森
須加星作「いばらの森」のカホリのモデルは、リリアンの現在の学園長、シスター・上村こと上村佐織さまです。

紅薔薇さま、人生最良の日
蓉子さまのお供になった8人の下級生たちは、「吉備団子が欲しいわけではない」という趣旨のことを言っていますが、実際にはゲーム参加者が「紅いカード目当て」で近付いたのではないかと思われます。祐巳を追跡したのと同じですね。ですが、それが真相かもと思いつつ、私はそうではないと思うことにしています。そのほうが気持ちがいいので。

パラソルをさして
弓子さんの「古い友人」とは、祥子さまのお祖母さまのこと・・・とは、はっきり断定してはいませんが、ま、そういうことですね。

おじいさんと一緒
真美さんが喫茶店で出会う「小父さま」がタクヤ君で、信号カラーのシャツの若者が甲之進さんです。
「真夏の一ページ」159ページのイラストでは、若い男性が甲之進さんで手前に腕だけ見えているのがタクヤ君ではないかと思われます。
ギニア共和国とマリ共和国の国旗は、どちらも信号カラーですが、ギニアは左から「赤黄緑」で、マリは逆に「緑黄赤」です。

涼風さつさつ
花寺の学園祭で、祐巳にキャンディーをくれたパンダの中に入っていたのは柏木優氏です。
「パンダ探偵事件簿・ペロペロキャンディー殺人事件」は柏木氏の作品ではないかと・・・(たぶん)。

レディ、GO!
体育祭当日の昼休みに、真美さん(体育祭実行委員)が借り物競走のリサーチをしていますが、もしかしたら、その昼休みには融小父さまは既に来ていて、目撃されていたのかもしれません。だから「スーツを着た男性」などというお題が作られたのではないでしょうか。でも、そうだとすると「ちょっと抜け出して来た」という程度ではありませんね。これは私の妄想かもしれません。
ちなみに志摩子さんのお父さんは目撃されていないでしょう。「和服を着た人」は他にもたくさんいたと思われます。
由乃さんの「ジョーカーと思って取っておいた」の真意は解りません。

降誕祭の奇跡(の前半)
このファンタジーをどう解釈するか。最終的には読者にまかされているわけですが、マリみての中でこのエピソードだけ異質に感じてしまう読者も多いと思います。私もそうです。
ひかりさんと今日子さんの体験がシンクロしているのは単なる偶然と解釈してもいいし、今日子さんが過去へ(あるいはひかりさんが未来へ)タイムスリップしたというSF的な解釈も可能でしょう。どちらの場合も奇跡といえます。
私の好きな解釈は、ふたりはそれぞれの夢の中で時を越えて会話していたというものです。

降誕祭の奇跡(の後半)
こちらも、ある意味「時を越えた奇跡」のお話です。
美嘉さんの天使のマスコットは、渥美先生の新車に飾ることをイメージして作ったものです。それがラストで渥美先生のおんぼろ車(何年経ったのかは不明ですが新車だった車のことです)で揺れているのです。

ショコラとポートレート
克美さまの「私のことなんか、見てくれていないと思っていたけど」というのは、江利子さまのことです。

チャオソレッラ
「チャオソレッラ」158ページで、蔦子さんがお土産用に吟味している写真立ては、おそらく笙子ちゃんへのお土産です。(と、私は思っていますが多くの読者もそう思っていると思います。作者がこんなところで読者をミスリードする意味はありませんので当たっているんじゃないかなぁ)
聖さまと加東景さまはイタリアに来ています。インコに変な言葉を教えたのも聖さまです。

桜の中の魔(「桜組伝説」の中の一編)
この話は一回読んだだけではなかなか解らないとおもいます。ファンタジーやSFの部類の小説だという前提で読み始めれば、あるいは気付けたかもしれませんが。
マリみてDB掲示板で、どなたかが書いておられましたが、これはパラレルワールドものです。
白雪さんの世界と白妙さんの世界が、平行に存在していて、それぞれ、白雪さんの世界のリリアンには李組はあるが桜組はなく、白妙さんの世界のリリアンには桜組はあるが李組はなかったのです。
ですが、ふたりの手が触れた瞬間に彼女たちの属するクラスごと入れ替わってしまい、白雪さんのいた(今は白妙さんがいる)世界では二年生だけ桜組に、白妙さんのいた(今は白雪さんがいる)世界では二年生だけ李組になってしまった。
という解釈が妥当だと思います。クラスごと入れ替わったとするよりも、白雪さんと白妙さん(とそれぞれのクラスの名前)だけ入れ替わったとするほうがいいかもしれません。あるいは、そもそもこのパラレルワールドの相違点はクラスの名前と白雪さんと白妙さんだけだった(その相違点が入れ替わった)ということかもしれません。
ですが、あまり細かいツッコミは無しです(笑)。これは、実話ではなく(「マリみて」の世界の中でも実話でないという意味)代々の二年桜組生徒による創作(伝承?)なのですから。

特別でないただの一日
柏木氏がたくさんあるチケットのうち一枚だけ抜き取ったのは、祐巳が祐麒にあげたチケットです。
別に柏木氏が「祐巳のチケットを渡したくない」と思ったわけではありません。ただ、それは他のチケットと違って本人から貰ったものではなく、無理矢理没収(笑)したものですから、勝手に第三者へ譲渡するという行為ははばかられただけです。
本当なら、直接貰ったものでもくれた人の気持ちを考えれば他人にあげたりはできないはずですが、残念ながら柏木氏は他人の気持ちが解らない人なのです(柏木ファンのひと読んでいたらゴメンなさい)。

図書館の本
みきさんは祐巳のお母さんで、さーこさまとは祥子さまのお母さまの清子さまのことです。

だいたいこんなところでしょうか。
きっと見落としがあるんだろうなぁ〜。
2005/02/04 15:15:05〔投稿者:円〕
「桜の中の魔」について、私は「白雪さんと白妙さんの中身以外がクラスごと入れ替わってしまった」と思っています。入れ替わり後、桜組にいる少女が白妙という名前でありながら、白雪さんのいた世界の百代さんのアドバイスを覚えていて、かつ今いる世界の百代さんはそのことを知らないというのが一応の根拠です。論理的に考えても、あまり意味のない話かもしれませんが。
2005/02/04 17:29:44〔投稿者:冬紫晴〕
「特別〜」の追伸。私は柏木氏を「そんなに他人の気持ちがわからないのではなく、そういうふりをしてみせることはある」かわりに「野心が大きく、とぼけてばかり」と考えているので、ちょっと変えて。
小笠原融氏は直前で文化祭に行けなくなってましたよね。それで、余ったチケットを柏木氏に渡したと。そんな風にして、小笠原父、祖父(推測で柏木父、松平父なども)などからのキャンセル分が大量に彼に回ってきていたのかもしれません。つまり、可南子父に渡った祥子さま名義の招待券は、祥子が直接渡したのではなく、父や祖父など、仕事で来られそうもなくても「一応」渡したものであるところの、押しつけられたチケットだったのではないかと。流石に柏木氏はカチンときますよ。さっちゃんは恋愛対象になれなくても、大事な「妹」ですし(彼は実は彼女や清子様にとても気を遣います)。
そうすると、確率的にも祥子さま名義の件が渡りやすいんですけど…言い訳も考えておいてからの行動ではあると思うんですよね。で、言い訳を考えやすい分だけ残した。ほら、「食えない男」ですし。(大幅に希望的観測)
2005/02/04 21:53:19〔投稿者:管理人〕
>円さま
>「白雪さんと白妙さんの中身以外がクラスごと入れ替わってしまった」
なるほど〜、それもありそうですね。
>冬紫晴さま
>「そういうふりをしてみせることはある」
おぉ、冬紫晴さまはそんなふうに観ているのですね。
私は、柏木氏に関しては「悪意はない、誠実ではある、ただ、他人の気持ちが解らない」とみています。ですのて、行動に演技や裏はないと思ってます。
チケットの出所ですが、単純に「ファンがたくさんいる、差し出されれば断らない」ということだと思いますが、冬紫晴さまの深読みも面白いですね。
2005/02/05 01:24:06〔投稿者:いわし〕
確かに謎をあえて残してある話は多いですよね。自分の場合「紅薔薇さま〜」「レディGO」あたりは謎とすら思わずにキャラのセリフ等を信じて読んでいたので意外でしたけれど。柏木氏のチケットは短編作れるくらいの裏設定がありそうな予感。今後明らかになる可能性もあるわけですよね
2005/02/05 18:45:14〔投稿者:管理人〕
>いわしさま
「紅薔薇さま〜」での「キャラのセリフ」はウソではないとは思います。結果的には。ただ、近付いたきっかけはというと・・・う〜ん、違うのかなぁ〜、いつもと違う雰囲気の蓉子さまに惹かれただけなのかなぁ。私もそう思いたいところなんですけどね(笑)。
2005/02/07 02:37:45〔投稿者:アルス〕
柏木さんのチケット問題は、実は瞳子ちゃんのチケット5枚と祥子さまの1枚、祐麒君の1枚花寺生徒5枚の計12枚になりますね。
2005/02/07 08:16:54〔投稿者:バルミラ〕
 現時点で最大のミステリーは、やはり柏木優の本性や真意でしょうか。彼が本当に他人の気持ちを考えない自己中心的な人間なのか、それとも実は深い考えがあってそう言う振りをしているのか。どちらの線から見ても、これまでのストーリーとは辻褄が合うので、答えは出ません。ただ、後者であってほしいとは思っています。前者だと話が上手くまとまらないような気がしますので。
 話は変わって。
 「ファースト デート トライアングル」で「(チーズケーキを)家に持ち帰ったところで、あの両親が食べるかどうか疑問だった」と、志摩子の視点で書かれています。最初に読んだ時は、「そんなに家族関係が冷え切っているのか」と思ったのですが、「銀杏の中の桜」で明かされた真相はあの通り。少なくとも父親との仲は悪くありませんでした。しかし、そうなると前述の文の意味をあらためて考えてみなければならなくなりました。
 で、考えた結果、「志摩子の両親は洋菓子——あるいは甘いもの全般——が嫌い」と言う結論に至りました。
 さて、はたしてこれはミスリードの一環だったのでしょうか。
2005/02/07 18:25:43〔投稿者:r〕
柏木さんは1巻で、祥子さまに人前でキスしようとしています。柏木信奉者(というより、本文に書いている以上に柏木さんを買っている人たち)はその事を忘れていませんか。
2005/02/07 22:59:39〔投稿者:はちかづき〕
 はじめまして。はちかづきと申します。よろしくお願いいたします。
 わたしは柏木氏を天然の自己チューだと思っていますが、柏木氏関係の話が続いているようなので、その立場から少し書いてみたいと思います。
さて、12月のコラム「由乃さんの妹」へのコメントで、バルミラ様が瞳子ちゃんには「正しい事をしていればいいと考える傾向」や「(少なくとも主観的には)悪い事はしていない」と述べていらっしゃいました。これはそのまま柏木氏にも言えることではないでしょうか?
 柏木氏は一種独特のどこかナルシスティックなスタイルを常に貫いていますが、そのスタイルを貫きさえすればそれでよいと考えている節があります。これは『パラさし』で祐巳を車で出迎えた時の行動の場違いっぷりによく表れています。
 また、柏木氏の大きな特徴といえば、人の気持ちの分からないところです。無印での柏木氏は自分中心の視点しか持たない、あらゆる人が自分と同じ考え方をしていると思い込んでいるかのような、まさしく「自分本位」の人間として描かれていました。
 このような柏木氏のスタイルと自分本位は、彼の強い自信が根っことなっていると思います。実際彼はかっこいいはずです。あの祥子様が一時は好きになるくらいです。先代三薔薇さまと同等かそれ以上に高性能な柏木氏ですから、彼がかっこいいと思うように振る舞いさえすれば、大概の問題は乗り越えることが出来たでしょう。
 柏木氏には、「正しい事(柏木氏のスタイル)をしていればいいと考える傾向」と「(少なくとも主観的には)悪い事はしていない」と考えるところがあります。これらの欠点のせいで柏木氏は山百合会の面々に嫌われてしまったわけですが、だからこそ無印での文化祭のようないたたまれない状況でも完璧に役割を果たせたのだし、また首尾一貫して誠実でいられるのだとも思います。
 なお、私はそんなダメ人間柏木優が大好きです。
2005/02/08 03:31:20〔投稿者:管理人〕
rさま、はちかづきさま、ようこそいらっしゃいました。「柏木氏」については、次回のコラムで取り上げようと思います。
>バルミラさま
「あの両親が食べるかどうか疑問」から「家族関係が冷え切っているのか」という印象を受けたとのことですが、私はまったく思い付きませんでした。作者もミスリードの意図はなかったと思います。
「無印」で、志摩子さんは自分の食の好み(ギンナン、ユリネ、大豆)について「嗜好なんて環境もかなり影響していると思わない? あの両親に育てられたから、好みが渋いのよ」と言っています。つまり、志摩子さんちはほとんど和食で、おそらくご両親は「チーズケーキなど食べたことがないだろう」ということだと思います。ですから、「(チーズケーキを)あの両親が食べるかどうか疑問だった」というのは、味の好みの問題ではなく、普段の食習慣からそう思えるということでしょう。
2005/02/08 19:30:31〔投稿者:冬紫晴〕
ごきげんよう。
>パルミラさま
藤堂家には、お茶菓子など和菓子のストックみたいなのがあって、そればかり食べるから、別腹もそれで一杯になってる…
あと、柏木氏の深読み。
無印では、柏木氏あれ以降出番なしで考えていたかもしれないですよね。で、あとから考え直してみると別解釈が可能で…
全く別の見方を提供するなら、婚約解消を切り出して、怒り出したのは柏木氏ではなかったのではないかと考えることもできます。そう簡単にできることじゃないです、家と家の話なので。当事者だけでは話が付かず、双方の父・祖父・母を巻き込む大騒動になるのは必至。いや、小笠原家−柏木家絶縁の危機か。そうなれば、旧家かどうかわからない柏木家は一体どうなることやら…「子羊〜」のPp.191-192や、「この場をぶっ壊してやろうか」が何とも言えませんね。
2005/02/09 23:40:02〔投稿者:管理人〕
>冬紫晴さま
祥子さまが婚約解消を切り出したのは、学園祭前日、リリアンのマリア像の前です。それまでは問題自体から逃げ回っていたので、祥子さまが婚約解消したがっていることを柏木氏は知らなかったと思います。家族の方たちは未だに知らないかもしれません(と、私は思います)。
2005/02/14 17:22:28〔投稿者:バルミラ〕
 ケーキの事に関して少し補足。
 ケーキ一つで深刻に考えてしまったのは、バースデーケーキが念頭にあったからです。誕生日に親と一緒にケーキを食べるというのは、はたから見ると大した事ではありませんが、当事者である子供にとってはかなり重要な事ですから。聖もバースデーケーキには複雑な思いを持っていたようですし。
 さて、さすがの藤堂家でも、娘の誕生日ぐらいはケーキを食べているのでしょうか。
2011/10/29 13:56:57〔投稿者:mami〕
「ジョーカーと思って取っておいた」
は単純に由乃さんにとって無理がきくのが祐巳だけど、あれもこれも無理させる訳にはいかないので
最後の切り札という意味でジョーカーと言ったんだと思います。
2011/11/14 01:10:08〔投稿者:管理人〕
mamiさま、コメントありがとうございます。由乃さんが祐巳を「ジョーカーと思って取っておいた」のなら、性格的に「そのカードを使う気満々だった」と、私は考えています。ですが、最終種目のギリギリでまで温存していたのですから、使わずに終わるところでした。本音は勝負に勝つために「自分と交替させる」つもりだったのではないか、と想像したりもしているのですが、これは私の行き過ぎた妄想でしょう。
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