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    No.735 【新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/03/31 20:25
    無事、新刊「くもりガラスの向こう側」が発売になりました・・・はずです。
    実は、発売日購入に失敗しまして、まだゲットしていません。
    明日にはなんとか(汗)。

    とりあえず、ネタばれ用のスレッドを立てておきますので感想等の書き込みにはこちらをご利用くださいませ。

    発売から1か月経ちましたのでネタばれモードを解除しました。
    追加:2006/05/01 00:24
     
    -1- No.736 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/04/01 20:00
    無事購入&読了しました。
    今回は、しおりがマリみてじゃなかった。
    最近のマリみて新刊のときは、しおりもマリみてである確率が高くなっていたと思います。

    表紙から(瞳子ちゃんがいないので)妹問題解決!とまではいかないことは予想していたので、そのこと自体は気になりませんでした。
    乃梨子ちゃんが活躍(瞳子ちゃんの友人として)することを予想していたのですが、最初に祥子さまに(放っておいてと)釘を刺され、それもなし。(かわりに小笠原邸に行くのに大活躍?!)
    婚約問題は・・・まあ、この問題をどろどろに展開するのもありかもしれませんが、もはや焦点は瞳子ちゃんの家庭の事情のほうに移行してますので、むしろ、ほっとしました。
    逆に、最後に残った瞳子ちゃんの問題のほうが「どろどろの展開」だったらやだなぁ・・・同じぐらいあっさり解決!という展開を希望します(笑)。
     
    -2- No.739 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 朱夏 : 2006/04/02 15:49
    06/04/02
    ごきげんよう、お久しぶりです。
    「くもりガラスの向こう側」・・・妹問題に進展が無かったせいか、コメントが少ないですね。それにしても、一冊丸ごと新年会に終始した展開に批判的な意見も多いよう。
    ともかくも個人的に今回最大の目玉は、「祥子・優の婚約解消」!
    かつてこちらのサイトで色々な(ドロドロ関係を)憶測をした者としては、この一節を読んでいて、思いっきり椅子からズッコケそうになりました。(笑)
    このことから強く感じたのは、「マリみて」をあくまでもライトなホームコメディの範疇に収めようという作者側の意図です。第一巻から祥子さまが抱えていた「家の悩み」は、祥子・祐巳の関係性を、身分格差の問題、複雑な家族構成など、古典的な純文学的懊悩の世界に没入させることも可能だったわけです。しかしこうしたテーマを、あっさりとスルーされてしまった感があります。
    これは思うに、明らかに「マリみて」が「次のステージ」に移行しつつ証拠かと。「マリみて」の大きなテーマは「スール」。「スール」の絆は、先輩から後輩へと連綿と続くシステムです。つまり個々の繋がりがどんなに深く強くても、この制度は基本的に二人だけの世界に没入することを許しません。ですから祐巳ちゃんにとって「妹」としての段階はもう終わり、いよいよ「姉」としてのステージに移行してしまったと宣言した巻であったのではないかと思えました。
     
    -3- No.740 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 朱夏 : 2006/04/02 15:52
    続けての投稿、お許し下さい。
    よそのBBSには、祐巳ちゃんが瞳子ちゃんを意識し始めたのが唐突だったと言う意見が根強くあります。しかし、私はそう思いません。祐巳ちゃんはむしろ、「瞳子を選ぼうと努力している」のだと思います。祐巳ちゃんは瞳子ちゃんの欠点も長所も分かった上で、包み込もうと努力しているのです。何故なら、今一番祐巳ちゃんを必要としているのが、瞳子ちゃんだという確信があるから。
    このことで今回、特徴的なのは、由乃ちゃんの名言「妹の部屋」。
    祐巳ちゃんと由乃ちゃんは、ある意味共通の課題を抱えています。それは、あまりにインパクトの強い姉を持ったが故に、「姉離れ」がしにくい関係性を作ってしまったことです。
    また祐巳ちゃん由乃ちゃんは、もともと恵まれた家庭環境にあって「人間関係の飢餓感」が薄く、かつ自己否定の意識が強いことも二人に共通しています。
    こういうキャラクターの場合、人との関係性をある程度強く意識的に作って行かないと、いつまで経っても何にも進展しない傾向があります。
    「縁(えにし)」は人の意図とは無関係に生まれますが、「親友」「恋人」「夫婦」そして「スール」といった「人間関係」は、結果を恐れずに意識的に作って行かねばならないのです。
    ですから祐巳ちゃんと由乃ちゃんが、あえて「妹の部屋」という心のスペースを持ったと言うことは、二人にとって大きな進歩だったと考えます。
    これが祥子さまや志摩子さんの場合、最初から「人間関係への強い飢餓感」がありました。なので一つの出会いから「スール」という関係性を築き上げるまで、さほど心理的抵抗が無かったと考えられます。
    「マリみて」では祥子・祐巳、志摩子・乃梨子の様に、しばしば運命的な出会いによって生まれたスールが描かれてきました。物語としても、その方が面白いでしょう。しかし、特に祐巳ちゃんの場合、「ばったり運命的に出会って妹に」ということはあり得ないキャラ。
    祐巳ちゃんの妹問題は、「妹オーディション」から始まって次で五巻目になります。確かに引っ張りすぎとも思えます。でも考えようによっては、むしろ女の子の心情描写として、リアリティーがあります。なのでこういう物語展開に私は、今野先生の良心を感じます。

    次の巻では、おそらく「薔薇さま選挙」。祐巳が、妹無しで立候補するのはハンデがありすぎ。なのでその前に、瞳子と何らかの決着が付くと予想。今回、少々不思議な行動を取る祐麒が気になります。
    閑話休題。「妹を励ます」つもりで祐巳を招待した祥子さま。祐巳の表情を「おかず」に鮨をいただいたり、無理矢理「セーターを脱がせて遊んだり」で、聖さまもビックリのセクハラぶり。(笑)・・・しかも、「着物で立て膝サイコロ投げ」のおまけ付きで、すっかり妹を堪能していました。でもこれも、祥子さま卒業の前振りかと思うと、少々寂しく思えました。
    さて、つい長文となりました。それもこれも、続出する作者批判に「分かっとらんのう!」と嘆くが故。失礼いたしました。
     
    -4- No.742 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 韓子温 : 2006/04/02 23:52
    ごきげんよう

     発売日に購入、読了いたしました。
    個人的には充分に楽しめる逸品でした。「いばらの森」の身を切られるような切ない感動もありませんでしたし、人間関係の急激な変化と緊迫感もほとんどありませんでしたが、ほのぼのとした雰囲気が本来のマリみての空気をかもしていたのではないでしょうか。
     祐巳の妹問題(或いはもはや祐巳瞳姉妹問題)が完全に解決しなかったことについて。これは仕方ないでしょうね。ここでワンステップ置く事で当事者二人の心情を掘り下げて描いていく余裕がえられますから。ここで祐巳が路線を定めたわけですから、次は瞳子の気持ち、こだわりを明らかにする。そうしてこそ、新紅薔薇姉妹問題が解決するはずですから。
     数巻前から作品に否定的な意見が目立ちます。決着のつかぬ妹問題に焦燥するあまりの事でしょうが、マリみて好きならそこで少し考えて欲しいものです。姉妹になることではなく、「何故姉妹になり」「姉妹になって何をするか」、この二つがスールシステムの根幹でしょうから、何故姉妹になるかに時間をかけてかいてある分お楽しみが増えているのではないでしょうかね。「単に姉妹になること」は祐巳たちには求められていないはず、と思っています。
     祐巳瞳に気をとられていると見逃しがちですが、今作では色々と重要なものあったように思います。祥子さまの婚約解消問題については何もいいませんが、その他にももっと見るべきところがあります。乃梨子と祐巳の和解。由乃の「妹の部屋」宣言。志摩子兄の帰宅。これらのエピソードは今後、妹問題や卒業問題を含む動乱ののちに訪れるであろう平和の時代を構成する為の伏線のように見えます。姉妹成立か祥子さま卒業を持って作品自体に幕を下ろすならともかく、そうでない以上は次の世代の物語の為の準備が必要ですから。

     最後にひとつだけ、ここまでに否定的意見が目立つようになった要因を考えて…(思いついて…)。あとがきではないでしょううか。あとがきで作品について語らないですよね。ほとんどコラム化してる感がありますよね。そういうあとがきも良いとは思いますが、もう少し真摯にかいて下されば非難も少なくなるのでは…、などと考えた次第。
     
    -5- No.743 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/03 06:43
    読了しました。

    読んでいていくつか気になった点を。

    この巻、『黄薔薇革命』と重なる部分が複数あります。

    まず、どちらも「妹から突き放された姉」の物語であるということ。
    (『黄薔薇革命』では、前書きでは「支倉令も島津由乃も…」と対等に扱っておきながら、本文には由乃視点の部分が全く存在しないことに注意。)

    次に、『黄薔薇革命』で蓉子さまが言い放った「私はあなたのお姉さまだから」という台詞。この伏線は『パラソルをさして』ですでに回収されたかと思っていたのですが、今回、祥子が同じことを言っています。

    そして、どちらも鬱状態の描写が非常に巧い。温室で放心状態の令。その直前、誰彼構わず身上話をしていたのも心の隙間を埋めるための行動です。そして、「勝手に死なれたら迷惑」という祥子の一言。長沢先生はこれを「粋な台詞」と解釈しましたが、実はこの言い方は、急性期の鬱に対しては医学的に最善の説得方法なのです。
    新刊では祐巳が集中力低下をきたし、不眠を呈し、じっとしていられなくなって、ぶらりと外出します(最終章4〜5節)。こちらも鬱の典型的な症状です。

    『黄薔薇革命』では令は田中長女との決定戦の支度中に悟りの境地に達しますが、祐巳にはその機会はどういう形で訪れるのでしょうか…。
     
    -6- No.744 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/03 08:55
    韓子温さん:
    最後にひとつだけ、ここまでに否定的意見が目立つようになった要因を考えて…

    これは単に、物語が、『レイニーブルー』あたりで急速に増えたにわかファンたちの期待とは反対の方向に動いている、というのが真相ではないでしょうか。

    私の後輩が『特別でないただの一日』あたりの時期に日記に書いていたものを読むと、彼はマリみてを「シスタープリンセス」と重ね合わせているんですね。

    確かに、共通点はいろいろあります。

    まず、少しずつ特徴の違う人物が多数登場します。無印でいきなり薔薇ファミリーが8人登場。『黄薔薇革命』の1冊で動かしてその後につながる人物は実質11人。これは通常の定石からすれば明らかに多すぎる人数です。
    (通常は4人程度がストーリーを理解しやすい人数。だから「銀杏の中の桜」は乃梨子・瞳子・志摩子だけ頭に入れておけば読めますし、無印も蓉子・祥子・祐巳・優以外は頭に入っていなくても読めます。『黄薔薇革命』も、単独で読むなら令・祥子・祐巳・由乃だけで十分。しかし、「ロサ・カニーナ」あたりから、把握しておくべき人数が増えてきます。)

    目に付くところでは、「妹」が共通のキーワードです。

    そして、これは日本語ゆえの妙技なのですが、同一の相手方に対する呼びかけ方がひとりひとり違います。(新刊で祐巳が融をかばったときの周囲の反応や、「片手だけつないで」で志摩子が薔薇の館の上級生全員から呼び捨てにされることへの快感に注目。)
    これは読解のキーポイントになっていて、たとえば新刊p11の「祐巳ちゃん、ど、どうしたの!? えっ、祥子も!?」は、それに続く地の文がなくても、「祐巳ちゃん」と「祥子」のふたつの言葉から令の台詞だと分かりますし(これはどちらか片方だけで必要十分!)、話を遡ってOK大作戦の第一回会合の場面などでも、呼び方や敬語法から誰の台詞だか読み解かなければいけない台詞があります。これは高校の古文の授業でさんざんやらされる技法です。マリみては現代文の作品でありながら、この技法を駆使する必要があるわけです。

    が、「シスタープリンセス」の12人の妹たちは製作陣が好き勝手(arbitrary)に「造」ったものなのに対し、マリみての多数の登場人物は、
    まず「銀杏の中の桜」が前提として存在して、
    それと整合するように祥子・令・志摩子を「創」り、
    さらにそれと整合するように蓉子・祐巳・由乃・聖・優を創り、
    以上に対して最良のスパイスとなるように蔦子・三奈子・真美を創り、
    優・祥子・祐巳・瞳子とすべて整合するように祐麒に肉付けを施し、
    福沢姉弟と整合するように小林くんを創り、
    祥子・祐巳・由乃と整合するようにアリスを創り、
    祐麒と整合するように日光・月光を創り(ただ、優とは整合しづらくなっています)、
    というふうに、いわば必然の積み重ねです。江利子はその意味では異端ですが、それでも、『レディ、GO!』以降はそれまでの挙動との整合性が求められています。

    つまり、いわゆる「キャラクターが作者の手を離れて独り歩きする」という状態です。これを今野先生が割と早い時期から自覚していたということが、『いとしき歳月・後編』のあとがきから読み取れます。

    とすると現在の状態は、今野先生が祐巳と瞳子をゴールインさせようとしても、蓋然性の高い着地点が見つからない状態なのです。祐巳と優の関係もまだすっきりしませんし、祐巳と瞳子がゴールインする時点までには、由乃と菜々がゴールインするための土台を完成させておかなければいけません。瞳子を支えるための乃梨子の肉付けもまだまだ足りません。

    しかしながら、作者は登場人物を好き勝手に動かせる、と思い込んでいる人たちが、結果を焦っている、これが真相だと思っています。

    ただ、出してみたものの結局日の目を見なかった「遊び駒」の整理は、
    1.「BGN」での桂さんクラス替え(桂さんファンには申し訳ないのですが、この時期以降の祐巳や志摩子と同格に話ができる外野陣は、蔦子・真美くらいしかいません。だから、このうち志摩子を除く3人が修学旅行で一緒の班になったのです。…というか、『黄薔薇革命』で桂さんを革命便乗組に回して、その便乗組を蔦子がまとめて一刀両断にした時点で、彼女は捨て駒になってしまいました。)
    2.『特別でないただの一日』以降の祐巳・可南子の距離増大(ただし可南子は、乃梨子や瞳子に対して、祐巳に対する蔦子・真美のような使い方をする可能性は残っています。蔦子・真美の後継者として形式的に日出実や笙子をあてがっても、乃梨子や瞳子を支えるには荷が重いです。)
    3.前作での令の進路変更(令が祐巳や由乃を相手にして活躍できる火種はもう残っていません。個人的にはひとつだけ、令主役で期待しているシナリオがあるのですが、それは実現したとしても枝葉末節です。令・清子の組み合わせは面白いのですが、単体では物語を作れません。)
    4.そして、今回の婚約解消(祥子は祐巳の姉、優は瞳子の従兄、と両陣営に分かれました。祥子は『特別でないただの一日』での主役降板騒動あたりから、祐巳を経由しないと瞳子に口出しできない状態に陥っています。)
    とほぼ完了しました。ずいぶんな駒損ですので、今後しばらくは持ち駒を増やすことに重点が置かれるはずです。

    残った宿題として思いつくのは祥子と三奈子の関係を再構築すること(薔薇の館の住人とスクープ記者、という組織人としての関係から、対等な大人の個人どうしの関係への脱皮…伏線は「BGN」「レイニーブルー」「イン ライブラリー」と多数)ですが、これは祐巳とは直接の関係がないし、両組織のほうを祐巳・真美に世代交代させないと動けないので、もっと先の話ですし、場合によってはそのままお蔵入りになるかもしれません。


    ちなみに、『レイニーブルー』からのブレイクの時期は、今野先生の大殺界(天中殺ともいう)の真っ只中です。ひょっとしたらそんな点も影響しているのかもしれません。

    『黄薔薇革命』の1冊で動かしてその後につながる人物は実質11人。
    メモとして書いておきます。
    蓉子 祥子 祐巳 江利子 令 由乃 聖 (×志摩子 単なる使い走り) 三奈子 真美 蔦子
    追加:2006/04/06 11:02
     
    -7- No.745 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/03 11:52
    ワトソンさん:
    今回は、しおりがマリみてじゃなかった。
    最近のマリみて新刊のときは、しおりもマリみてである確率が高くなっていたと思います。

    今回は新しくシリーズ展開する『シュバルツヘルツ』と重なりましたから、仕方ないですね。
    でもタイトルが文法的に間違ってるのは救いがたい…
    自動翻訳の結果:
    black heart → schwarzes Herz
    the black heart → das schwarze Herz
    a black heart → ein schwarzes Herz
    日本人って往々にして、日本語・英語・中国語のどれにも存在しない文法要素に弱いように思います。

    マリみてだと Ciao, sorella!(直訳:Hi, sister!)という表現が本来は誤り(正しくは Ciao, mia sorella!、直訳:Hi, my sister!)なんですが、個人的には Ciao, mia sorella! と書くと祥子さまではなく瞳子ちゃん宛のような印象を受けます。
     
    -8- No.746 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 韓子温 : 2006/04/03 13:48
    ごきげんよう

    (新刊の内容から脱線します)
    でるもんた・いいじまさま
    『レイニーブルー』あたりで急速に増えたにわかファンたち
     こういった概念が頭に無かったもので、新たに視野が広がるご意見でした。と言いますのも、私自身がマリみてに入ったのが「特別でない〜」の時期からでしたので、レイニー辺りからのファンというものが解からなかったからです。
    そう思えば色々と思い当たる事があるように思います。話はそれますが、以前、阪神ファンだった友人が「阪神優勝以降のにわかファン」に対して面白からざる感情を持っているとこぼしていたのを思い出しました。ファンになった時期によって、ファンとしての質(態度・タイプ)が多分に変わるものなのですね。
     
     シスプリとのオーバーラップは思いもつきませんでしたが、呼称に関してはよくわかります。
    田中芳樹氏が「創竜伝」の巻末対談で語っていらっしゃたのを覚えています。多数の登場人物を書き分ける重要な技法のひとつですよね。マリみて・創竜伝においては、個々の登場人物の個性の発露として顕れる他者の呼称によって人物を書き分けていますが、シスプリでは、多様な「兄」の呼称自体をひとつの個性として設定しているようです。描き方が違うという事ですよね。
     一人歩きするキャラクターについても田中氏が言っていらっしゃいましたから、よくわかります。そうしてキャラが一人歩きする作品は作品としてレベルの高いものだという事も聞いています。キャラクターの設定や人物同士の関わり合いに強い現実性と必然性があるせいで、行動が制限され、作者の意図に反して動く場合すらあるのですよね。
     整合性に着目してのキャラクターの創り方については、「ホーンブロワーシリーズ」のフォレスター氏が「ホーンブロワーの誕生」のなかで述べていらっしゃた事を思い出しました。必要に応じてひとつの設定を付与すると、それに付随した設定が同時にいくつの生まれるということでした。
     それらの観点から、マリみては文学的完成度が比較的高いわけですね。他のカテゴリのノベライズ作品などに比べて。そして、完成度のそう高くない作品(面白さの問題ではなく)に慣れた「にわかファン」にとってはどこか違和感がある、と。そのせいで非難の声が大きくなるというなら、納得がいくようになります。ひょっとすると、本来の読者層を女子中高生に設定してあることが、不平分子の方々の違和感(非難)にもつながっているのかも知れません。
     余談ですが、先述の「創竜伝」も、一巻当たりの作中時間の経過が極端に遅くなったいます(300ページで半日分とか)。マリみてと共通した要因によるのかもしれません。

    乱文にお付き合いいただき、ありがとうございました。 
     
    -9- No.748 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/04/05 03:08
    否定的意見
    ネットで最近の巻の否定的感想は時々見かけますが、「妹問題がなかなか片付かないから」につきると思います。
    私の場合でも、「レディ〜」のころの感じでは、「遅くとも学園祭までには」巻数でも「次か、次の次ぐらいには妹は決まるだろう」という印象だったと思います。
    もし、その頃の私が「あと9巻でても妹は決まらない。年が明けてもまだ決まらない」と知ったら、少々うんざりしていたかもしれません。
    「特別でない〜」のラストの祥子さまの台詞で、はっきりと「妹問題」を提示してしまってからでも五巻もでているわけですから、ファンとして「いいかげんにしてよ!」というぐらいの権利はあると思います(笑)。
    そういう人にとって「肯定的感想」を聞くと「なんで受け入れられるの?」と感じてしまうかもしれません。
    でも、それも「キャラや作品への思い入れの強さ」からくるものと思います。
    作品を否定したくないあまり(あるいは気持ちを裏切られないように)、読む前に「多大な(あるいは自分勝手な)期待を持たないようにして」から、読んでいたりしませんか?
    それはそれで、ちょっとさびしいですね。読者は自由であるべきと思います。

    というわけで、私は素直に不満をぶつけることにします。

    「瞳子ちゃんがでてこない!」(乃梨子ちゃん活躍はうれしいですが、本筋ではありませんし・・・)

    ラストの柏木邸に瞳子ちゃんがいた可能性はありそうですが。
     
    -10- No.757 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/07 08:24
    私自身がマリみてに入ったのが「特別でない〜」の時期からでしたので、

    私自身もアニメ第二期「〜春〜」から入った人間で、決して古株ではないのですが、作品史の書かれたサイトをいくつか回るうちに、どうも『レイニーブルー』あたりから爆発的なブームになったようだ、と感じるようになりました。

    マリみての作品構成の方法については、上記の分析のおかげで新たにひらめいた点がありましたので、新しいスレッドを建てました <#753> 。そちらで議論しましょう。

    整合性に着目してのキャラクターの創り方については、「ホーンブロワーシリーズ」のフォレスター氏が「ホーンブロワーの誕生」のなかで述べていらっしゃた事を思い出しました。必要に応じてひとつの設定を付与すると、それに付随した設定が同時にいくつの生まれるということでした。

    これは読んでみようと思います。

    ひとつ書き忘れていました。

    必要に応じてひとつの設定を付与すると、それに付随した設定が同時にいくつの生まれる

    『特別でないただの一日』の地の文で言わせています:何気なく言ったひとことが現実化する場面を何度も見てきた、と。
    追加:2006/04/07 08:27
     
    -11- No.763 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : とぷかぴ : 2006/04/07 12:53
    お初にお目にかかります。とぷかぴと申します。
    新参者ですがこちらのサイトを拝見させていただき
    思うところがありましたので
    まことに勝手ながら筆をとって寄稿した次第です

    新刊『くもりガラスの向こう側』が発行されて数日が過ぎましたが
    ワタシは祐巳×瞳子の妹問題が瞳子よりもむしろ祐巳が深刻な状況にあるのでは
    と思ってしまいました
    (そしてそれを打ち消してもらいたいとも思っております)

    ↓(以下はその勝手な思い込み&所感です)
    新刊を読んで、その一つ一つの場面の描写は楽しく
    面白く読ませていただきました。が、瞳子が妹になれなかったこと、決めきれなかったことに残念という思いと、それとは逆にドタバタに終始してなし崩しで決まらなくてよかった
    という、この相反する思いが交差していました。

    なぜこの相反する思いが生じたかと思うに至った時
    作品のテーマとしての『スール問題=姉妹間の人間関係』を考え
    祐巳には作者はずいぶん重い枷を嵌めたのだなぁと思ってしまいました

    【怒ることが出来ない祐巳】
    飛躍してしまいますが
    もし新刊前の状況のままで祐巳と瞳子がスール関係になったと仮定した場合
    恐らく祐巳は瞳子に対し『いつでも優しい』姉として接するのだろうと思います
    それは作品全般を通じて
    福沢祐巳というキャラは
    1.常に相手の立場にたって自分を振り返る
    2.不平不満といった自分の負の感情をその相手にぶつけない
    (2については『レイニー』にぶつける下りがありますが、結局祥子への慕情を優先している様にワタシは解釈しています。つまり瞳子にあったわだかまりは瞳子に直接ぶつけていないのです)
    これがワタシの念頭にあるからです

    作中でも祐巳は感情の起伏が大きく
    まさしく思春期の多感な少女という印象を受けるのですが
     
    -12- No.764 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : とぷかぴ : 2006/04/07 12:55
    しかしある感情に対してはまるっきり欠損といってもいい部分もあります
    (長文すいません続けさせてください妄想がさらに飛躍していまいました・・・)
    【いつでも優しい姉】
    いつでも優しい祐巳(姉)が瞳子(妹)に対する接し方が頭に浮かんだ時、ふと既視感がよぎってしまいました
    『チョコレートコート』の寧子(姉)と浅香(妹)に祐巳×瞳子を重ねてしまうのです
    作中のなかで寧子は本心(=妹ではない意中の存在)を隠したまま常に優しく浅香に接し、
    寧子は本心を打ち明けることなく卒業式を臨んで破局(といっていいと思います)を迎えています。
    この姉妹と祐巳×瞳子を重ねていくと(本心を隠したままの優しい姉とその妹という点で)今のままの祐巳と瞳子では破局もしくは2nd『レイニー』も起こりうると思ってしまったわけです

    『未来の白地図』で祐巳は瞳子にロザリオの授受を断られていますが
    深読みすると祐巳は瞳子に対して自分の本心全てをぶつけていないのではないか
    そして姉からの一方的な優しさだけではこのスールは成立させないというのが作者の意図なのではないか
    と読み取りました(重ねていいますが勝手な思い込みです)

    【重い枷=克服すべき状況】
    前文にも書きましたが
    祐巳は怒りに対してはまるっきり欠損
    というかすぐ打ち消して相手を受け入れ肯定しています
    これは祐巳の美徳といってもいい要素なのですが
    反面、相手にしてみれば掴み所がなく煮え切らないといった印象も与えてしまいそうです
    瞳子の立場からすれば、祐巳が怒るべき状況なのにニコニコと笑って明るく振舞うのは、
    本当の感情を打ち消して接するための優しさと、とってしまうのではないのでしょうか
    (瞳子の祐巳に対するつれない態度というのも、穿った考えをすれば祐巳の『怒り』を誘導するような行動をとっていたともとれなくもないのですが)

    怒りは相手を思っての感情であれば、決して醜い感情ではないと思うのですが
    いまの状況で祐巳が怒りの感情を身に纏うためには
    『レイニー』以上のプロセスがないと発動しないようにも思え、これから祐巳には過酷な状況な待ち構えているような気がしてしまうのです
    (『マリア様がみてる』は祐巳の成長物語でもありますから、祐巳は与えられたハードルに対して必ず克服できると思う、いや思いたいのですけど)
     
    -13- No.765 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : とぷかぴ : 2006/04/07 12:56
    (風呂敷を広げすぎてしまいましたのでそろそろ収縮にむかいます、すいません)
    先程の美徳として挙げた祐巳の怒らなさは、ある意味成熟した年配者の対応なのですが
    これが思春期の多感な少女となると話が違ってきます
    本来あるべき感情が持ち合わせていないことは、かえって感情のバランスを欠いているようにも思えてしまうのです

    ただ作中でも、乃梨子が祐巳に対し苦言を呈しているところで、作者の意図が感じられ
    そこから祐巳は自分探しに向かうきっかけに繋がるように思いました
    そして今回のくもりガラスの向こう側という比喩にあるのは
    『自分に向かう瞳子の気持ち』ではなく
    『自分が瞳子に対して抱いている感情』つまり祐巳自身ではないのかと思います
    祐巳が瞳子に対して思ったままを、そのまま相手にぶつけることができたときスール問題が解決に向かい、そしてこの物語も完結に近づく気がします



    長々と取り留めもなく書き綴ってしまい失礼いたしました
    (誤字脱字が多々見受けられましたので掲げ直しましたすいません)
    (あああ、削除履歴は残ってしまうのですね重ね重ねの板汚し申し訳ありません)
    管理者コメント
    遅くなりましたが「削除履歴」は消去しておきました。
     
    -14- No.767 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/04/08 17:40
    ようこそ、とぷかぴさま。

    作者は、始めから祐巳と瞳子ちゃんを姉妹にするつもりでいたでしょう。
    「イン ライブラリー」あたりまでは、瞳子ちゃんには問題がなく(少々素直でない程度)、祐巳さえその気になればすぐまとまりそうに見えました。
    でも、祐巳は(祥子さまにいわれても)なかなかその気になりません。
    自分が姉という立場になることが実感できないようでもありました。
    ところが、いざ、その気になってみたら、なんだか瞳子ちゃんのほうがおかしくなってきました。

    それにしてもたかが姉妹、されど姉妹。たった一組の姉妹を成立させるのがこんなにたいへんとは(笑)。
    でも「黄色い糸」を読むと、作者は「姉妹なんてもっと簡単に考えようよ」と言っているような気もしてきます。
    「まだほとんど何も知らない状態」、だからこそ姉妹になってみない?
    まあ、祐巳に江利子さまのまねはできないけどね。
     
    -15- No.768 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : とぷかぴ : 2006/04/08 20:18
    ワトソン様
    拙文を読んで頂いてありがとうございます

    書き込んでみて初めて判ったのですが
    深読み(妄想)すると迷走&収拾がつかなくなってしまい
    傍からみるとウ〜ンな状態ですねコレ・・・

    まさしくおっしゃるとおりですね
    もっと肩の力を抜いて楽しんで祐巳×瞳子を見ていきたいと思います
    では、ごきげんよう
     
    -16- No.773 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/10 22:19
    はじめましてごきげんよう、とぷかぴさま。

    【怒ることが出来ない祐巳】

    【いつでも優しい姉】
    いつでも優しい祐巳(姉)が瞳子(妹)に対する接し方が頭に浮かんだ時、ふと既視感がよぎってしまいました
    『チョコレートコート』の寧子(姉)と浅香(妹)に祐巳×瞳子を重ねてしまうのです

    これは盲点でした。確かに、「怒りの感情を発散する」ということについては祐巳はかなり欠損している部分がありますね。「涼風さつさつ」での可南子に対するシーンでも、最終的に可南子を一喝したのは祥子でしたので。

    ただ、私はこの点については心配していません。「怒りの欠損」のせいで何かトラブルが起きるとしても、黄薔薇革命での令やレイニーブルーでの祥子のように、それを克服すること自体がひとつの物語として成立しうるからです。令ではなく祥子を次年度にも登場できるようにしたことは、上記の観点からすると、『パラソルをさして』で蓉子がとったのと似た行動を祥子にもとらせるための布石なのかもしれません。

    もうひとつ、「怒ることができない」「いつまでも優しい」ということから、もしかしたら瞳子は祐巳を自分の母親と重ねているのかもしれない、とも思い当たりました。瞳子の母親は、家出騒動のときにショックで全く行動できないほどの動揺を見せましたから、裏返せば瞳子を溺愛しているということで、「うわべでは優しく接しているけど、本音では何とも思っていないのではないか」という反感を瞳子は抱いているのかもしれません。
     
    -17- No.786 【地理的な話】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/23 06:49
    ごきげんよう。
    ストーリーについては一通り論点が出たと思いますので、各論を。

    まず地理的なことですが、小笠原家・二条家(董子さんのマンション)の位置がある程度分かりました。

    東京周辺の地理に詳しくない方は、
    http://www.jreast.co.jp/map/index.html
    から東京近郊路線図をダウンロードしてじっくり眺めながらお読みいただければと思います。

     まず前提として、学校最寄の「M駅」はJR中央線の駅ということにします。(「おじいさんと一緒」、出やすい私鉄でいいから東を目指せ)
     無印によると学校はM駅の北側です。

    『黄薔薇革命』によると支倉家は学校と同じ市外局番ですから、やはり中央線の北側です。新刊では祐巳が屋台で買い物をするためにM駅の南口からバスに乗ったことになっていますが、これは明らかに誤り(もしそうでないとすると、バス停の移転があったか)です。

    ここで「薔薇のダイアローグ」に飛びます。支倉家から小笠原家までは「直線では意外と近い」ので、小笠原家はやはり中央線の北側です。でも、M駅より東なのか西なのかがまだ分かりません。

    そして新刊。祐巳は千葉方面から電車に乗り続けている乃梨子と車内で出会います。つまり、小笠原家最寄り駅はM駅より西側です。

    また、祐巳は乃梨子が志摩子と先に落ち合ってから来ることを期待していました。志摩子の最寄りのH駅がM駅より西側というのを大前提にすると(「銀杏の中の桜」)、志摩子と乃梨子が先に落ち合うためには、その場所は乃梨子の最寄り駅と考えるのが妥当です。

    以上まとめると、
    西←H駅(小寓寺)―二条家―小笠原家―M駅(リリアン、福沢家、支倉家)→東
    となります。
     
    -18- No.788 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 冬紫晴博士 : 2006/04/26 15:27 :
    ごきげんよう

    本そのものは発売日当日に入手読了したのですが いろいろあって 感想が思いっきり出遅れてしまいました
    ブログの方にも何も書いていない状態なのでお恥ずかしい限りですが ここでいくつか

    1:
    <#744> でるもんた・いいじまさまのこめんとより
    今野先生が祐巳と瞳子をゴールインさせようとしても、蓋然性の高い着地点が見つからない状態

    これはまさにその通りだと思うのです
    祐巳は <#763> とぷかぴさまがご指摘なさっているとおり

    1.常に相手の立場にたって自分を振り返る
    2.不平不満といった自分の負の感情をその相手にぶつけない

    このような特徴を持っている
    一方の瞳子ちゃんも同様の特徴を持っていると考えます ただし祐巳とは違い 現れ方が全く違うのです
    祐巳はただ黙っているだけだったり口ごもっているために伝えられないのですが
    瞳子ちゃんは嘘をついてしまうことも多いのではないかと思います
    それは当に「嘘も方便」と言えるものであり 相手を傷つけないため 関係を壊さないための嘘を駆使します
    それが崩れている相手は 乃梨子ちゃん 可南子ちゃん 祐巳などでしょう
    ここ最近は祥子相手でもそうなっている
    というか それまで採ってきた「戦略」を使えなくなった いや 積極的に使わなくなった 使う必要がなくなった気がするのです
    乃梨子ちゃんや祐巳と 「銀杏の中の桜」までとは異なる より「良質な」関係を築いてしまったために

    しかも「白地図」であんな態度を「とらざるを得なかった」「とってしまった」ために いよいよ鬱ぎ込んでしまいました
    これでは二人ともどう動いていいのか全く見当がつかないというのが現状と言えましょう
    誰よりも作者が頭を抱えている気がします (だからコラムのような後書きにならざるを得なかったのかもしれない)
    ただですら自分から動きにくいキャラクター同士なのに 瞳子ちゃんが鬱ぎ込んでしまったために

    あるいはこれを予測していたからこそ 雑誌に掲載された「スール」やそれに類した関係を描きつつけていたのかもしれません
    それこそ「黄色い糸」のように あっさり決まったにもかかわらず非常に面白いスールができあがったように
    (ただしこれは江利子と令だからこそでしょう 二人ともさばさばしてますから)

    ここでの読者の役目は こうすれば二人は動くのではないかとああだこうだと考察(妄想)することではないかしら
     
    -19- No.789 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 冬紫晴博士 : 2006/04/26 15:48 :
    連投で失礼いたします

    「くもりガラス」Pp.87-88で登場した「右大将道綱母」の句について

    嘆きつつ独り寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る

    驚くことに気づきました

    右大将道綱母は「藤原道綱母」のことです 「まんがで読む古典」でも採用された「蜻蛉日記」の作者です
    詳しくはここなどを読むとわかるでしょう
    http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/100i/053.html

    「蜻蛉日記」は「まんがで読む古典」を見ていた当時の薄ぼんやりした記憶によれば
    嘆きと愚痴と悲しみと怨みで綴られているような日記なのです

    が……

    とりあえずそれはわきに置いといて

    「明くる間」は「門を開ける」とかかる とありますから……
    祐巳は清子小母さまを連想していますが
    もちろんそれだけではないということでしょう

    この歌を「他の女のところに通い続ける夫を思いつつ」という背景を考慮せず
    地の文だけをとって味わってみると

    これが

    瞳子ちゃんの心情を詠んでいるものとも

    祐巳の心情を詠んでいるものとも

    言えましょう

    いかがでしょう?

    それに気づいたとき カウンター食らってテンカウントあっという間にすぎて気持ちよくKOされた気分でした

    それにしてもライトノベルのくせに読みこなすのにかなりの力量と教養を必要としますね
    十分に楽しむには敷居が高くなってきているのかもしれません
     
    -20- No.790 【無題】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/26 22:22
    こりゃまた完全に一本とられました。
    一体今野先生は教養のひきだしをいくつ頭の中に持っているんだ…

    「銀杏の中の桜」の描写(仏像2体の描写と、文庫版で書き足された江戸時代のサークルの話)から、今野先生の短大での専門分野は中世〜近世史系統かなと思っていたのですが、その後は瞳子を「小公女」と重ねてくるし、今度は百人一首…

    まあ、小公女と百人一首は、子どものころの原体験が元になっているんでしょうね。「長き夜の」あたりを読むと、昭和40年代の香りがぷんぷんします。「なかきよ」の風習といい、たかが友達の家に止まりに行くのに子どもたちに菓子折を持たせる親といい…。

    (私なら子供より前にしゃしゃり出て菓子折を手配する・させることはないですね。電話で挨拶くらいは当然しますが。)

    ps
    でも、「黄薔薇まっしぐら」はなんとなくドリフターズの雰囲気がしますね。あの「全員集合」が始まったのが今野先生4歳の時、終わったのが20歳の時です。
     
    -21- No.791 【百人一首三題】 投稿者 : 朱夏 : 2006/04/26 23:01
    ごきげんよう。
    それに気づいたとき カウンター食らってテンカウントあっという間にすぎて気持ちよくKOされた気分

    冬紫晴博士さま。HNもパワーアップ、学位取得おめでとうございます。そこまで読み取っていただければ、今野先生もきっとご満足かと(笑)
    なお、リンクしていただいたページの説明にもありますが、百人一首でこの句の作者「藤原道綱母」は、「儀同三司母」と並ぶ「母」と付く名歌人。いづれも当時、平安文化の中心にあった高貴な女性(母)達です。
    このことを今野先生は意識して、清子小母様に重ねて見せている。上手いですね。まあこの一節はもちろん、後に融小父さまが登場するための前振りでもありますけど。
    さらにさらに深読みするならば、瞳子ちゃんとの関係を模索する祐巳ちゃんがあえて「母の句」に目を停めたことを、メタ的にどう解釈するか……。ちょっと興味深いところです。
     
    -22- No.792 【続・百人一首三題】 投稿者 : 朱夏 : 2006/04/26 23:04
    百人一首ネタが出たところで、続けての投稿お許し下さい。
    「くもりガラス」の巻、百人一首の下りで、祐巳ちゃんが獲得した札を広げて見た祥子さまは、つい、つぶやいてしまいます。「……困ったこと」と。
    で、祐巳ちゃんの「百人一首占い」が始まって、次の三句が紹介されます。

    (1)長らへばまたこのごろやしのばれむ 憂しとみし世ぞ今は恋しき
    (2)風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思うころかな
    (3)君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな

    特に(1)と(2)の歌は、現在の祐巳ちゃんの心情を上手く現しています。瞳子ちゃんとの関係から想像して、うんと要約すれば、それぞれの歌はこういう風に読み取れるのかなと……。

    (1)こんなきついこと(瞳子ちゃんにスールをごめんなさいされたこと)も、いつの日かきっと懐かしいって思うんだろうな。お姉さまとのことだって、泣いたり笑ったしたことが今はすべて、いい思い出なんだもの。
    (2)あ〜あ! つい勢いでロザリオ差し出して、見事に玉砕だよ〜! 今の瞳子ちゃんは、岩みたいにかたくなで冷たいよ! 何にも言わず、私だけ一人で悩んでるのって悲しすぎるよ。

    さて問題は(3)の歌。
    「くもりガラス」を読んだ当初、(3)の歌が何故ここで選ばれたのか、私は分かりませんでした。そもそも祐巳ちゃんが(3)の歌を目にしたとき、「君」に誰を当てはめて考えたのでしょう?
    と言いますのも(3)の歌は、今の祐巳・瞳子の状況に合わないからです。
    この歌は、夢を叶えるために命さえ惜しまなかった作者が、その夢が叶ったとたん、あっさりと初心を曲げたくなった身勝手な心情を思わず吐露したもの。つまりこの歌のポイントは、「夢が叶っていること」!
    ですから、もともとの歌の意味をそのまま受けて「君」を瞳子ちゃんだとすれば、(3)の歌の意味はこうなってしまいます。

    (3-a)瞳子ちゃんがロザリオを受け取ってくれるまでの私は、瞳子ちゃんの幸せを叶えるならこの命だって惜しくないって思ってた。でも瞳子ちゃんが妹になった今は、あれもしたいこれもしたいって、つい楽しいことばっかり想像しちゃうダメな姉になっちゃったよ〜!

    でも瞳子ちゃんはまだ、ロザリオを受け取ってはいませんね。そこで「君」を祥子さまに置き換えて考えると、こう解釈することが出来そうです。

    (3-b)昔の私は、祥子さまとスールになれるなら、もうこの命さえ要らないぐらいに思ってた。でも、実際に祥子さまとスールになって過ごしたこの一年ちょっと、いろいろ学ぶことが多かったな。だから私もちゃんと妹を作って、これからは薔薇さまとしての責任も果たさなきゃって考えるようになったよ。

    こちらのほうが、むしろ自然かと。このあたり、今野先生のご意見を聞きたいところです。
    ちなみに、この三句を見てすぐに「なるほど」と思った祐巳ちゃんは、かなり百人一首をお勉強したと考えられます。祐巳ちゃんは、えらいっ!
     
    -23- No.793 【百人一首の着眼点に脱帽】 投稿者 : 韓子音 : 2006/04/27 23:54
    ごきげんよう

    百人一首は何か意味があると思いつつスルーしてしまっていました。今は百人一首の解説本を座右に考えております。

    朱夏さまの解釈におおむね異存はないものの、ひとつだけ自論を展開。
    この三首がそれぞれに「過去」「現在」「未来」を表現している可能性です。

    (根拠)
    (1)の歌について、つらいことがあったのは厳密には過去の出来事だということ。
    祥子に涙を受け止めてもらって、単なる落ち込みから今後について考える建設的な段階に移っているため。
    (2)の歌について、思い煩っているのはまさしく今であるということ。
    一度玉砕しても、再びアタックしようとしているので現在進行形の想いであるといえる。

    (結論)
    (3)の歌が「未来」を表すとすればおのずと解釈も変わってくる。
    「君」は依然瞳子のまま。「祐巳が、瞳子のために自己を犠牲にする、ぐらいの決心をすること」、「祐巳の望みが叶うということ」、この二つの暗示といえる。

    祐巳の気持ちに変化が見られる部分、物語最終の1ページと少しの記述を、「惜しからざりし命」だととらえれば、後に残るのはハッピーエンドの予兆のみ。
    というのは、いささか強引な理屈ですが・・・。

    物語の最終行「ガラス窓には、午後の日差しがまぶしく反射していた」も、「暖かくなればガラスの曇りは自然と晴れる」という意味でこれもハッピーエンドの暗示ですから、どこか通底するものがあれば、と思いつつ・・・。

    三首をあくまで一セットと考えた場合の話ですが・・・。
     
    -24- No.794 【祥子が普通の人に】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/28 00:36
    各論になりますが、もうひとつ気になっている点があります。それは、今まで「高嶺の花」として描いてきた祥子を「普通の人」にしようとする動きです。

    前作で、祥子は令の自転車に二人乗りをしました。今作では、偏食克服宣言をし、さらに、祐巳の服を脱がすというお戯れに出ます。
    …これすべて、普通の女性なら小学生のときに経験していてしかるべき内容ですよね。高校卒業も秒読みという時期になってやっと、祥子はこういう「通過儀礼」を済ませたわけです。

    その他にも、婚約の真相を聞かされてふくれる場面は、「紅いカード」で描かれた幼稚舎時代の孤高な祥子とは大きなギャップがあります。また、うれしい感情を出すのが下手、と清子おばさまから指摘されるシーンは、前作で祐巳が母に瞳子への想いを見破られたシーンと重なります。

    さて、ここまで事実を並べてきて、「高3の後半でやっと普通の人になった」という例が昨年もいたことに気付きませんか? そうです、佐藤聖です。

    聖の場合、幼稚舎時代に友達付き合いが極端に少なかったこと、中等部時代に必修クラブで読書を選んだこと、これらの描写は、軽度の自閉症を疑わせるものです。

    ところが、「BGN」のラストシーンでは、社交的な、全く健常な大学生になっています。「レイニーブルー」での学生ホールのシーンも然りです。

    そのへんから、祥子は卒業後に聖の後継をさせようという意図が読み取れます。
    以下妄想
    「レイニーブルー」では祐巳が志摩子のことを心配して聖を訪ねていますが、ひょっとしたら、3年生になってもまだ祐巳は独り身で、乃梨子あたりがそれを心配して祥子を訪ねる、というストーリーが成立しそうです。

    と、ここまで書いて韓子温さんの書き込みを読みました。ますます、春までお預けの可能性が高くなったように思います。

    選挙については、妹がいないことがハンデになるとの指摘がありましたが、これは由乃も今のところ同じですし、聖が妹なしで当選したという先例もありますし、ハンデにはならないように思います。むしろ、敵の多い瞳子を身内に置いておくほうが、純粋に選挙戦術としては不利ではないかと。
     
    -25- No.795 【ちょっと妄想】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/04/28 00:49
    百人一首で盛り上がっているところ恐縮ですが、ちょっと妄想を。

    マリみてでは、登場人物の深刻な悩みがふたを開けてみればそれほど大したことではない(読者にとってはですが)というパターンが多いです。
    志摩子さんの悩みも、祥子さまの婚約問題もそうでした。
    例外は可南子ちゃんの家庭の事情くらいでしょう。

    で、瞳子ちゃんの抱えている問題も「実はそれほど大したことではないのでは」と想像してみます。
    (あまり、どろどろの展開であってほしくないという願望もあります)
    あたらないと思いつつ、こんな展開はどうでしょう(以下妄想)。

    瞳子ちゃんの両親が仕事の都合で海外へ行く(旅行ではなく長期滞在)ことになっている。
    両親は一緒に来てほしいと願っている。
    だが、瞳子ちゃんは(高校生ともなれば当然ですが)ひとり日本に残るつもりでいた。
    当初、小笠原家に下宿を頼むつもりだった。
    だが、祐巳の存在を認めるに従って「自分が(祐巳を差し置いて)祥子さまと同居するわけにはいかない」と思うようになる。
    で、代わりに柏木さんに相談していた。
    ところが、瞳子ちゃんは演劇部やクラスとぎくしゃくし始めて、だんだんリリアンにいづらくなってきた。
    祐巳の気持ちもわからない。
    ちょっとしたことで両親と喧嘩になり家を飛び出してしまい、自分が祐巳を頼りにしていることを自覚してしまう。
    でも、無関係な(まだスールになっていないし)祐巳に頼ろうとしてしまった自分が嫌になってしまう。
    いっそ、両親についてリリアンを離れてしまおうか・・・
    半分そう思いかけていたところ、突然、祐巳にロザリオを差し出される。
    受け取ってしまえば楽になれる。
    ブゥトンの妹になってしまえば、立場上リリアンを離れるわけにいかなくなる。両親もしぶしぶ納得するだろう。
    だからこそ、受け取れない。気持ちが決まっていない段階で受け取ってしまっては祐巳を利用してしまうことになる。
    それではますます自己嫌悪に落ち入ってしまう。

    ってな感じ・・・あれ? けっこう深刻かな。
    でも、すべては瞳子ちゃんの気持ち次第という点では「(後で考えれば)それほど大したことではない」という程度の問題ではないかと。
    まあ、単なる想像で根拠は何もないです(「将来の進路」という問題でも「家業を継ぐ継がない」という問題でもないし)。
    なにより、これでは「祐巳が助け舟を出すとこじれるだけ」ということになってしまい、今後のストーリーが想像しにくくなってしまいます(「次巻がまるまる一冊瞳子ちゃん視点」とかだったら何とかなるかな)。
     
    -26- No.796 【令の料理】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/28 01:54
    また各論です。

    今回は、令が料理するシーンが何箇所か出てきますが、これも今までとは違うなと感じました。

    今までは、主にお菓子でした。この場合、思考順序は、何を作るかを先にきめてから、それに合わせて材料を集めます。

    ところが今回は、先にメニューを決めずに、「材料は何が使えるか」から思考をスタートしています。カレー味のお好み焼きしかり、朝食のメニューしかり。

    ここも私は、体育大学へ進学して道場の子供たちの世話をする、という進路に向けた布石ととりました。特に、離乳食のように一人だけ別メニューになる場合、「何が食べたいか」からスタートしちゃだめで、「何が使えるか」からスタートする発想が必要ですので。
     
    -27- No.797 【無題】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/04/28 02:04
    ワトソンさま:
    両親の海外赴任を「海外事業の責任者に指名され、その地に骨を埋める可能性が濃厚」とすれば話は通りますね。優の思わせ振りな言い方も、企業秘密ということにすれば解決しそうです。

    でも、次巻は菜々メインと予想しています(笑) 令が道場に招待していますし、黄薔薇姉妹の時間は3日の昼で止まっていますし。

    あ、でもそうすると、「由乃を頼む」という遺言を、まだ3ヶ月ある時点で言ってしまうことになるのか。うーむ。
     
    -28- No.802 【使用前→使用後】 投稿者 : 朱夏 : 2006/04/30 23:57
    ごきげんよう。
    三首がそれぞれに「過去」「現在」「未来」を表現している

    この韓子音さまの説が最初ピンと来なかったのですが、しばらく考えてなるほどと思いました。
    そう言われてみれば確かに(3)の歌は、ある意味(1)の歌を事後的に裏付ける形になっています。つまり(3)の歌を目にした祐巳ちゃんは、瞳子ちゃんにロザリオを渡した「未来」のことを考えたと。(3)の歌に、希望を見いだそうとしていると言うことですね。
    だから
    後に残るのはハッピーエンドの予兆のみ
    暖かくなればガラスの曇りは自然と晴れる
    ……と。そのポジティブな読み方に、思わず敬服いたしました。
    なるほど! 「パラソル」の巻を見ても、祐巳はもともと自己回復力がきわめて強いキャラ。なので、そのことを考えれば説得力があります。
     
    -29- No.803 【包み込んで守るのが姉、妹は支え】 投稿者 : 朱夏 : 2006/04/30 23:59
    「くもりガラス」とは多少スレ違いになることをお許し下さい。

    (生徒会長選挙で)妹がいないことがハンデになる

    「ハンデ」という書き方がまずかったかなと思っています。私がここで申し上げたかったのは、生徒会選挙戦略上のハンデを意味していたのではありませんでした。祐巳ちゃんの内面的、精神的負担のことを言いたかったのです。
    「ロサ・カニーナ」の巻は、つい白薔薇スールに目を奪われがちです。しかしこの巻全体で、大事なテーマが示されています。ここで祐巳ちゃんは、祥子さまのスールとして無力であることを悩んだ末に、祥子さまから重みのある言葉を贈られました。
    それは、「包み込んで守るのが姉、妹は支え(「ロサカニ」p112)」というメッセージ。
    この言葉をもらったことで祐巳ちゃんは、祥子さまの妹として、自分の居場所をやっと見いだしました。ですからこの言葉はこれ以降ずっと、祥子さまのスールとして、祐巳ちゃんの基本理念となって行きます。(そもそもは蓉子さまから発せられたメッセージで、いわば紅薔薇ファミリーの基本理念といえるかもしれない)

    いよいよ、今度は自分が立候補する段になって祐巳ちゃんは、祥子さまから一年前に受け継いだそのメッセージを忘れているはずがありません。祐巳ちゃんは、今の自分に「妹=支え」がない事を強く意識するはずです。
    ただし祐巳ちゃんの場合、前年度の祥子さま(蓉子さまが外部受験を控えていた)より、多少は精神的負担が少ないと言えます。でもこの期に及んで、未だに「姉に包んで守られ」ながら立候補する事を、祐巳ちゃんは潔しとしないでしょう。なのでこのままだと祐巳ちゃんは、必然的に、精神的に孤立する可能性をはらんでいます。
    このことを思えばやはり、祥子さまのリリアン大進学は、選挙立候補で祐巳ちゃんを精神的に追いつめないための準備設定だったかと。

    さて、「ロサ・カニーナ」の巻で今野先生は、「スールのあり方」に一つの理想を示したと考えます。もちろん、それ以降も様々な出来事を通して祐巳ちゃんは、「よりよい人間関係(スールのあり方)」を模索してきました。
    この点で「チャオ ソレッラ」の巻をのぞけば、おおむねどの巻にも祐巳ちゃんの体験を通した「学び(=読者へのメッセージ)」があります。この「マリみて」のメッセージ性は、今野先生の他作品「夢の宮」などとの、大きな違いの一つかと考えます。
    ところが、「薔薇のミルフィーユ」以降、最新刊の「くもりガラス」まで、こうした明確なメッセージがありません。最近の「マリみて」に、何か今ひとつ読了後のカタルシスが不足している理由に、このこともあると言えます。

    こじれるばかりの祐巳・瞳子関係ですが、これが決着を見るには何か大きなイベントが必要かと思うのは妥当なところ。ところがこれも、学園祭、お茶会(オーディション)、クリスマス、正月合宿……と、すべて肩すかしになってきました。
    祐巳ちゃんにとって、次の大きなチャレンジとなるのが生徒会長選挙。そもそも祐巳ちゃんの性格からして立候補など、もっとも苦手な事のはず。このイベントを乗り越えた祐巳ちゃんは、何らかの「学び」を得て、より強くなっているでしょう。
    私は、祥子さまの卒業まで祐巳ちゃんは、かならず妹を作るだろうと信じています。まあ、祥子さまの卒業と同時に妹誕生という、多少ドタバタした展開もありかも知れません。
    しかし、祥子さまの卒業はいわば「マリみて」の総仕上げ。もし今後「マリみて」が続くとしても、一つの終幕と言えます。そういう大事なエピソ−ドで、ドタバタした展開は無いだろうと思っています。
    と言うわけで生徒会長選挙は、祐巳・瞳子スール誕生のラストチャンスだと、私は考えた訳です。

    ……まあこれには、私の希望が大きく入っています。しかし、それもこれも結局、今野先生の筆次第なんですけど。
    長文、失礼いたしました。
     
    -30- No.805 【Re: 新刊「くもりガラスの向こう側」】 投稿者 : 冬紫晴博士 : 2006/05/10 17:55 :
    和歌「きみかため」(ここでの(3))について
    先日ご紹介したHPに掲載されていた意訳と補記に こうありました

    「君がため」は「惜しからざりし命さへ」ではなく 後句の「長くもがなと思ひぬるかな」にかかる
    つまり強いて言えば「惜しからざりし命さへ、君がため、長くもがなと思ひぬるかな」となる

    ということだそうです
    すると意味は
    「貴女を知る以前は惜しくもなかった我が命でしたが それさえ貴女のためには永く保ちたいと思ったのです」

    本巻で紹介された意味とはずいぶん違います

    もし こちらの意味の方がより確からしいということであって それを見越して2つの意味を重ねているならばそれはさらにすごいんですが
    まあそれはともかく 読む側としては「この両方の意味がある」ことを生かさない手はありません

    つまり (3)の和歌も 現在の状況を意味していて 祐巳よりも瞳子ちゃんの心情なのではないかと
    やけ気味だった瞳子ちゃんが 祐巳と一緒にいたいと思うあまりに しっちゃかめっちゃかになってしまったというか
    (詳しくは私のブログの方へw)


    ところで
    祐巳と瞳子の関係ですけれど 悪化しているとは見ていません 関係が強くなりつつあるからこそ起こったことだと感じられます
    そして それは全く唐突な印象を受けるものではありません 「BGN」にすでにその萌芽が見受けられます
    もちろん 祥子に対して媚び媚びな瞳子を見てむっとする場面ではなく
    しまのりを目撃して悲しくなってしまう祐巳に対して見せた瞳子ちゃんの微笑みに 祐巳は気をとられます
    このあたりからこの二人の関係が始まっていると見ることができます
    そしてそれは その後の二人の関係 特に「レイニー」〜「パラさし」における関係の重要な布石になっています
    それ以降 瞳子ちゃんはこれまでの友人関係から移行していることも見受けられます

    ここがTTであればこそ重要な点ですが
    マリみての物語内の時間では 祐巳が瞳子ちゃんに妹にならないかと申し出るに至るまでにかかった時間は9ヶ月です
    これをほかのエピソードで描かれた2者関係と比較すると それほど大きな差がありません
    例えば聖と栞の関係が描かれた時間とほぼ同じ9ヶ月
    佐藤聖が志摩子を妹にするまでにかかった時間は半年程度です
    作品の中では 経過している時間にさほどの差はありません(あの年齢の頃の3ヶ月はもっと長いかもしれませんが)
    そうとらえると 祐巳と瞳子ちゃんの関係について 「時間がかかりすぎている」とは決して言えないことがわかります
    決定的な違いは 祐巳の一人称視点で描かれるメインストリームでは 時間に対する描写の密度が非常に高い一方
    「白い花びら」は単行本の半分で9ヶ月に起こったことを描いてしまっているという差にありましょう

    メインストリームの密度をそう簡単に下げられるわけもなく(時間の進む速さがおかしくなります)
    ブランチとして発生した「白い花びら」とは質が異なるということになりましょう
    ブランチの物語はより濃密な部分のみを取り出し適切に順序立てて並べられる分 魅力を引き出しやすいのかもしれませんし
    その方法にあまりにもこのエピソードがはまりすぎたとも言えましょう
     
     
    No.806 【『仮面のアクトレス』予想等】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/05/19 00:40
    まんが王倶楽部に新刊の予告が出ました。
    http://www.mangaoh.co.jp/topic/maria.php
    令と菜々のお手合わせ、実現です。
    でもタイトルは『仮面のアクトレス』。
    アクトレス…actress…瞳子ちゃん?
     
    -1- No.807 【Re: 『仮面のアクトレス』予想等】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/05/19 01:08
    情報ありがとうございます。

    仮面のアクトレス
    どう考えても瞳子ちゃんのことですよね。
    ようやく、決着がつくのでしょうか。
    でも、予告あらすじでは瞳子ちゃんのことはまったく触れられていません。
    いずれにせよ、楽しみです。
     
    -2- No.808 【Re: 『仮面のアクトレス』予想等】 投稿者 : 朱夏 : 2006/05/19 01:12
    なんと、でるもんた・いいじまさまの予想通り! 令と菜々の、剣道お手合わせとなりました。
    同時にまた、やはり生徒会長選挙……という展開。
    でも何処が「仮面のアクトレス」なんでしょう?
    やっぱり「アクトレス=女優=瞳子ちゃん」ですよね……。

    次巻が短編集でなくて一安心。
    ちなみに本文208ページということは、「くもりガラス」よりも若干分量が多そう。
    でもこれだけ盛りだくさんの内容で、どこまで片づくやら。
     
    -3- No.809 【Re: 『仮面のアクトレス』予想等】 投稿者 : 韓子音 : 2006/05/19 06:14
    ごきげんよう

    アクトレス=瞳子、仮面=演技のこと。だとすれば、これまでの瞳子の言動のどこまでが演技だったかどうかを、暗に示してくる解決編になるのでしょうか。
    そうすると、瞳子視点の語りが入ってくるかも知れません。

    話の舞台が学校に戻ってくるので、蔦子さんにも出番があるかも・・・。写真部姉妹未満がでてくると個人的にはちょっとうれしいですけどね。
     
    -4- No.810 【Re: 『仮面のアクトレス』予想等】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/05/21 02:34
    令の遺言「由乃を頼む」は案外簡単に実現しそうですね。来年度に由乃が今年度の祥子の役回りを引き継ぐという観点(一例として、『涼風さつさつ』の顔合わせでは祥子が司会、『妹オーディション』では由乃が司会。)からすると、「will」で蓉子さまが祥子を祐巳に託したような、ちょっとしんみりした展開が新刊にはあるかもしれません。

    で、問題の「アクトレス」ですが…瞳子がごめんなさいしたことが周知の事実となり、という展開だと、どこまで詰め込めるのかという問題になると思います。
    この場合、祐巳に助け舟を出せる人はそう多くありません。祥子は迂濶に手を出せない、令や乃梨子はお家違いだから手を出せない。優は瞳子サイドの人間。可南子が祐巳を受け止めるか、あるいはウルトラCで静さま一時帰国か。

    ところで、瞳子の事情の件ですが、祐巳は「他人の家庭の事情は詮索しない」という行動を二度示しています。二回目はもちろん『くもりガラス…』のエンディングですが、一回目は『レディ、GO!』で瞳子が可南子の事情を教えようとしたのを断った場面です。
    『レディ、GO!』は出た時点ではサイドストーリー的要素が強いと感じたのですが、いま読み返してみると、結果的に『妹オーディション』以降への布石となっている箇所が随所にみられます。ぜひ再読をおすすめします。
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