過去ログ[15]

    スレッド番号 返信数 更新日 タイトルとメッセージの冒頭部分 スレッド投稿者名
    No.958 2 2006/10/25 01:29 でるもんた・いいじま
    No.964 2 2006/11/15 20:00 管理人(ワトソン)
    No.967 8 2006/11/22 16:58 管理人(ワトソン)
    No.976 13 2006/12/05 14:28 朱夏
    No.990 4 2006/12/17 01:41 朱夏
    No.1004 1 2006/12/25 21:57 祥子
    No.1000 6 2006/12/27 11:11 管理人(ワトソン)
    No.1012 1 2007/01/22 14:03 管理人(ワトソン)
    No.1014 3 2007/02/01 10:57 ロアデルは本日も多忙
     
     
    No.958 【続・大きな扉 小さな鍵】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/10/24 13:05
    前スレッド <#912> が40レスで打ち止めになってしまったので、新スレッドを立てておきます。

    ネタバレ進行を設定していただけると幸いです>管理人様
    管理者コメント
    ネタばれ進行設定しまた(11/11:ネタばれ解除しました)。レスが満杯になっていることに気付いていませんでした。失礼しました。
     
    -1- No.959 【Re: 続・大きな扉 小さな鍵】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/10/24 13:09
    それほどネタバレにならないように情報を一部伏せて書き込んでおきます。

    まとめてレスします。

    ロサ・ギガンテスさま <#914> :
    可南子ちゃんの不幸を「どこにでもある」と言い切った瞳子ちゃんの秘密にしてはインパクトにかけるような・・・

    どこにでもある、私だって言いたくはないけど実は…、とも解釈できますね。

    あるいは、瞳子はあの時点では、細川父が夕子を妊娠させたことまでは知っていても、籍を入れて子供を授かって腹を据えたことまでは知らなかった(子供は夕子の両親の意向で堕ろしたと思い込んでいた)、という解釈ができます。この可能性だと、小笠原祖父や融が愛人を抱えていることとも符合しますし、何より、0項での自分の母の境遇と符合します。つまり、自分のママよりは細川家はずっとましだ、ということですね。
     
    -2- No.962 【Re: 続・大きな扉 小さな鍵】 投稿者 : でるもんた・いいじま : 2006/10/25 01:29
    枝葉ですが。

    朱夏さま <#927> :
    そもそも「銀杏の中の桜」から一転、「マリみて・無印」が始まった当初、「『マリみて』の主人公は、どうして乃梨子じゃないの」という意見がありました。
    しかしリリアン女学園という、あまりにも特殊な世界を描くには、乃梨子はサブキャラとしての要素の方が強かったと考えられます。なのでこれまで乃梨子視点は、今野先生の中だけで静かに流れ続けて来たと。

    しかしそれがようやく、祐巳世代の薔薇さまが見えてきた時、乃梨子視点が再び蘇ってきたとも考えられます。やはり「マリみて」とは、ブウトン達の物語なんですね。

    うーむ。これは私は見解を異にします。祐巳が薔薇さまになるところまでは作者は見通しが立っていなかったのではないかと思います(『いとしき歳月・後編』あとがき参照)。

    むしろ、以前にマリみてを詰め将棋に譬えて論じたときに書いたと思いますが、『「銀杏の中の桜」は書いたけど、そのままでは続編「ロザリオの滴」に必然性を与えられない』という行き詰まりがありましたので、必然性を用意するために半年さかのぼりました。その副産物のはずだった祐巳(少なくとも「ロサ・カニーナ」あたりまでは祐巳だけが突出してはいません)が成長してきたので、祐巳を妹の立場におく物語が一段落する『特別でないただの一日』あたりまでは乃梨子の出番はなかった、と考えるべきでしょう。

    それに、雑誌版「銀杏の中の桜」を読む限りでは、乃梨子はサブキャラとしての色彩が強いようには思いません。むしろ、有名なフレーズのもじりになりますが「ごく普通に中学を卒業し、ごく普通に高校に進学してきました。ただ一つだけ違っていたのは、彼女は仏像オタクだったのです」という表現がぴったり合う、ごく普通の主人公です。
    それが、文庫で再録するにあたって、当座は脇役という位置に据えるために、ずいぶん乃梨子のひととなりが変わっています。たとえば髪型一つとっても、雑誌版には「少し伸びたおかっぱ」とだけあって、挿絵では髪にウェーブがかかっています。それが「BGN」では、「昔ながらのおかっぱ」となってしまいました。あるいは、自分の小遣いで漫画を買わない、という記述も雑誌版にはありません。小寓寺初訪問のときの服装にしても、「定番服」とまで言い切ってはいません。つまり、雑誌版では「ちょっと変わった趣味を持っているけど普通の人」だった乃梨子が、文庫版では「ストイックでちょっと浮いた人」に変質しているのです。

    ところが、主役を張り続けてきた祐巳が大人になって、もはや妹役を演じられなくなったときに、雑誌版で意図していたように乃梨子を「普通の人」に軌道修正しようとしているのが、『妹オーディション』以降の乃梨子視点の増加ではないかと思います。乃梨子のファッションについての描写もだんだん増えてきていますし。
     
     
    No.964 【夢の宮 王の帰還】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/11/11 20:23
    「夢の宮—王の帰還〈上〉」が、現在、Amazonで「2~3日以内に発送」になっています。
    この文庫は「出版社在庫無し」なので、通常、ユーズドのものしかないのですが、なぜか先月から新品が注文できるようになっています。
    (日よって注文出来なくなることもあります)
    「夢の宮—王の帰還〈下〉」とあわせて入手するチャンスです。
    〈上〉http://www.amazon.co.jp/gp/product/4086146258/
    〈下〉http://www.amazon.co.jp/gp/product/4086146355/
    実は私も先月注文し、今月無事届きました。
    新品と言っても、届いたものは1刷(1999年)のものです。
    増刷されたわけではないので、Amazonにあるのも一時的だと思います。
    読みたい方はお早めに(笑)。
     
    -1- No.965 【Re: 夢の宮 王の帰還】 投稿者 : いわし : 2006/11/14 23:21 :
    入手おめでとうございます。
    でも本当に何故…。他の本も出てこないか要チェックなんです…かね?
    もう読まれましたでしょうか。
    王の帰還は月下友人との雰囲気の違いが凄いですよね
     
    -2- No.966 【Re: 夢の宮 王の帰還】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/11/15 20:00
    もちろん読みましたよ(↑読んでから投稿しました)。
    下巻のあとがきを読んでびっくり。
    「下巻から読んでもよい」とあるじゃないですか。
    下巻を先に購入していれば実際に試せたかもしれないと思うとちょっと残念です。
     
     
    No.967 【コバルト12月号+短編「枯れ木に芽吹き」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/11/18 20:56
    コバルト12月号が発売されましたので、ネタばれ用スレッドを立てておきます。
    「枯れ木に芽吹き」の感想等は、こちらのスレッドにお願いします。
     
    -1- No.968 【Re: コバルト12月号+短編「枯れ木に芽吹き」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/11/18 21:22
    何の予想もしていませんでしたが、内藤姉妹の話とは思いませんでした。
    克美さまの絵は既出でしたっけ、初めてでしたっけ?
    私の脳内イメージよりずいぶんかわいい感じです。
    笙子ちゃんと実の姉妹なんですから当然かもしれませんが(笑)。
    そういえば、克美さまの「あの人」が江利子さまというのが明示されたのは初めてかな。
     
    -2- No.969 【Re: コバルト12月号+短編「枯れ木に芽吹き」】 投稿者 : アルス : 2006/11/19 04:40
     タイトルの「枯れ木に芽吹き」の「枯れ木」から連想して、てっきり「祝!初・柏木視点!!登場!!!」と予想していたのは私だけでしょうか!?(笑)
     
    -3- No.970 【Re: コバルト12月号+短編「枯れ木に芽吹き」】 投稿者 : 深月 : 2006/11/19 18:03 :
    克美さまの絵
    バラエティギフト内「ショコラとポートレート」の挿絵(P.85)の後ろ姿だけですかね。
    顔が出たのは今回が初めてかと思います。

    江利子分が補給されて嬉しい反面、黄薔薇は番外編でないと補完できない寂しさもあったり(笑)
     
    -4- No.971 【Re:】 投稿者 : りらん : 2006/11/19 22:15
    私は、タイトルの「枯れ木に芽吹き」から、学園長からみと勝手に予想しておりました(笑)
    内藤姉妹のお話と聞き興味倍増。明日にでも書店に駆け込みます。

    素早い情報ありがとうございました。
     
    -5- No.972 【『枯れ木に芽吹き』感想 1/3】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/11/22 14:28
     『枯れ木に芽吹き』では、小道具の使い方が上手かったですね。特に初詣の写真(18ページ上段3行目-以下18上3と略す-に言う「一枚の写真」)は、この作品の骨格を支える重要な役割を担わされていると見ました。
     ま、焦らずその他の小道具からいきましょう。

    ○英和辞典:内藤姉妹の絆の象徴。トップクラス国立大合格者なら英英辞典だろ、と思ってしまうところですが、英英辞典では笙子が借りに来るのが不自然になります。
    ○おみくじ:克美の心情の反映+江利子の靴箱にお守りを入れるという行動のきっかけ+運命の暗示+枯れ木(克美の心?)に咲く花。
    ○お守り:まだ一方通行ではあるものの、きちんと届いた気持ちの象徴+初詣で二人が出会う必然。
    ○おたきあげの白い煙:これを「小道具」と呼んでいいのかは疑問ですが、白い霧/もや/水滴が視界を遮る、というイメージは、今野作品の定番です(いばら59-15、レイニー214-6、子羊149-1、くもりガラス9-3、大きな扉104-3)。白い煙の向こうにいたのが、ピンク色のコートを着た江利子であったという色彩の鮮やかさに注目。


     それでは本命、「初詣の写真」にまいりましょう。
     この写真は、18中16以下の回想シーンの呼び水となるという作用を果たすとともに(類似の例として、無印102-10のピアノなど)、克美の気持ちが前向きに変化してゆく象徴ともなっています。

     特に、写真に写っているものが一箇所で全て描かれていない、という点がポイントです。これが今作の最大のトリックであり、この作品全体の構成と切っても切り離せない関係にある、というのが私の分析です。
     ちょうど、次第に広げられてゆく絵巻物のように、小説が進行してゆくにつれて、この写真に写っているものが少しずつ詳しく描写されるようになってゆきます。具体的には、
    a)「一見どこにでもある、初詣で賑わう神社の風景写真」〔18中3〕
    b)「去年まで同じ教室で学んでいたクラスメイト」が中央に写っている写真〔18中14〕
    c)克美が「江利子さんの後ろに小さく写」っている写真〔24下6〕
     という感じです。
     ね。a初詣の風景+b江利子+c克美、なわけです。

     このうち、a→bへの移行については、明らかに今野氏の作為であると考えられる一文があります。すなわち、
    「私の手に納まった瞬間、その写真は、『もはや』ありふれた正月の風景写真ではなくなった。」
     つまり克美は、笙子から写真を受け取って初めて、江利子がそこに写っていることを知ったのです。それが、克美の驚きにつながり、次の回想シーンにつながります。

     b→cへの移行についても、おそらく意図的になされたものでしょう。作中では、最初から気づいていた、みたいなことが書かれていますが、これはアリバイ作りの一句です。最初から気づいていたのならば、18ページの段階で描写されていてしかるべきでしょう。
     それ(=克美が写真に写っていること)を18ページの段階であえて伏せたのは、そこにそうする必然があったからです。つまり、18ページと24ページとでは克美の心情が変化しており、その変化を、小道具を使って表現するというテクニックを今野氏が採用したというわけです。
       (続く)
     
    -6- No.973 【『枯れ木に芽吹き』感想 2/3】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/11/22 14:29
     さて、ここからが本論です。とはいえ、以下の分析を正確に皆さんにお伝えできるか、私には自信がありません。もしご不明な点があったら、遠慮なくご指摘ください。

     まず前提として、「物語」と「作品」の峻別ということを強調しなければなりません。
     物語≠作品なのです。
     小説は、単なる事実の記録ではなく、技巧を凝らした表現です。ある一定のテーマを描ききるために、作家はあらゆる技法を駆使しなければなりません。その結果、単に「物語」を語るだけならば不要なものを混入させる必要が生じることがあり、さらには「物語」レベルでの事実を曲げる必要が生じることさえありえます。

     例を挙げましょう。
    「京の五条の糸屋の娘
     姉は十七、妹は十五
     諸国諸大名は弓矢で殺す
     糸屋の娘は目で殺す」(笑)

     糸屋の娘たちの「物語」を語るだけならば、3行目の「諸国諸大名は弓矢で殺す」は不要です。しかし、この「作品」が効果を上げるためには、特に4行目の「目で殺す」を強調するためには、「諸国諸大名」にお出まし頂かなければならないのです。「物語」レベルで不要な表現が、「作品」レベルで必要とされることがあるというのは、こういうことです。


     では、『枯れ木に芽吹き』ではどうでしょうか。
     「物語」レベルでは、問題の写真は、はじめから江利子と克美が写っている写真です。しかし「作品」レベルでは、江利子と克美が同時に写っていることを最初から明らかにすることはできなかったのです。更に踏み込んで言えば、初詣の写真bと初詣の写真cは、作品レベルでは別々の機能を担わされた「別の写真」なのです。(あ、っと。もちろん、物語のレベルで写真がすり替わっているとか、そういう意味ではありませんよ。あくまで、作品の必然というやつです)
       (続く)
     
    -7- No.974 【『枯れ木に芽吹き』感想 3/3】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/11/22 14:31
     『枯れ木に芽吹き』は、「優等生ブルース」ものと言ってよいでしょう。「優等生ブルース」なるフレーズは私の造語ですが、要するに、

    ①勉強一筋、でもどこか満たされない主人公が、
       ↓
    ②あるきっかけから、
       ↓
    ③肩肘はらずに生きられるようになる。

     というパターンの作品群です。
     「優等生ブルース」は、少女小説の世界では何度も描かれているタイプの作品であり(例:『雑居時代』氷室冴子、『友愛クエスト』藤本ひとみ、『ハイスクール・オーラバスター(の一部)』若木未生)、『枯れ木に芽吹き』もまた、上記のパターンを踏襲しています。

    ①に対応する部分として、
     「あのクラスメイト」を見返すために勉強三昧の生活を送った高校時代。しかし相手は勝負すらさせてくれなかった。目標を見失って失意の大学生活を送っている。(冒頭部〜19上9)
    ②に対応する部分として、
     妹の部屋で穏やかな表情をした自分の写真を見つける。初詣で例のクラスメイトこと江利子と再会する。(19上10〜24中18)
    ③に対応する部分として、
     初詣の写真を見ながら、少し前向きな気持ちになる。(24中19〜ラストまで)

     ちゃんとステップを踏んでますよね。
     でも、ちょっと待ってください。冒頭部〜18中15までの部分、本当に①に含まれるんですか?
     この部分は、作中時間では今年の正月のはずです。24中19以下と同じ日のはずです。すでに物語の中では、克美は江利子と再会し、わだかまりが解けているはずです。
     それなのに、なぜ、読者はこの部分を「どこか満たされない主人公」が描かれているパートだと錯覚するのでしょうか。

     それは、今野氏自身が、この部分を作品のレベルで①カテゴリーに属するように描写しているからです。
     いくつかピックアップしてみましょう。
    「冷ややかに視線を上げた」〔18上6〕
    「いつものことだ」〔18上8〕
    「私は笑顔で妹を迎えることはない」〔18上10〕
    「いまさら変える方が気持ち悪い」〔18上11〕
     かたくなですよね。まるで高校時代の克美のようです。そう、「作品」レベルでは、この部分は①の段階なのです。
     言い換えれば、作中時間(物語の時間)と読者の体感時間(作品の時間)に乖離を生じさせているのであり、それが『枯れ木に芽吹き』の最大のレトリック(というか小説のテクニック)なのです。

     なぜこんな手の込んだテクニックを使ったのでしょうか。
     最大の理由は、この作品が短編だからでしょう。克美の「優等生ブルース」を時系列順を守って描ききろうとすれば、400字×50枚から70枚になってしまいます。その点、①②パートを回想に流し込めば、描写を圧縮して30枚でまとめることができます。回想は短縮の技法なのです。
     同時に、今野氏お得意の「時の経過とともに浄化される想い」を「優等生ブルース」に絡めるため、という理由もあるでしょう。

     必然性はわかりました。ではその逆、許容性はどうでしょう。本来不自然なはずの作中時間と読者の体感時間の乖離が、不自然でなくなっているでしょうか。
     私は、「初詣の写真」こそが、その断絶を架橋する役割を果たしていると読みました。
     物語レベルでは、初詣の写真は一枚の同一の写真です。読者は、この写真があるおかげで、冒頭部〜18中15までの部分と24中19以下を連続した時間として認識することができます。
     他方で、作品レベルでは、写真bと写真cは、まったく異なった機能を果たしています。江利子のみが写っている写真bは、「あの憎きクラスメイト」が余裕の笑みでこちらを見下している写真であり、克美の心情としては①部分に属するものです。
     江利子と克美が同時に写っている写真cは、克美が江利子と和解を果たした後、つまり③部分の象徴です。
     こうして、二面性を有する初詣の写真は、屈折した二つのパートを結びつけるという、蝶番のような役割を果たしていることがわかります。これによって、不自然なはずの断絶が不自然ではなくなるのです。この写真が、作品全体の構成と切っても切り離せない関係にある、と私が言ったのは、こういう理由です。

     最後に、この作品のラストで、「初詣の写真d」が暗示されていることを指摘しておきましょう。
     克美は「江利子さんと肩を並べて」「同じ目線で笑」うことができるように、と、勉強をはじめます。次に二人が会ったときには、二人笑顔で並んだ写真ができるのではいかと期待を抱かせるような描写です。そう、『枯れ木に芽吹き』は、未来へと開かれているのです。
     
    -8- No.975 【黄薔薇だけに、柑橘系】 投稿者 : 朱夏 : 2006/11/22 16:58
    ごきげんよう。すっかり、ご無沙汰してしまいました。
    コバルト12月号の表紙は、またしても祐巳・瞳子。
    この構図は最近すっかり定着した感があります。本編がいっこうに進展しないのに反して、イラストの方だけが暴走ぎみ……?
    ま、可愛いから、良いんですけど(笑)

    さて「枯れ木に芽吹き」なんですが、ここで内藤姉妹の話が来るとは思いませんでした。
    しかも克美さん視点でありながら、笙子ちゃんの現状(蔦子さんとの関係)報告を兼ねているところが巧妙。
    克美さんのイラストは、確かに可愛いですね。
    後ろ姿なら、「バラエティギフト」の巻「ショコラとポートレート」p85にあります。
    私はなんとなく、きつめのメガネっ子なイメージを持っていました。

    克美・笙子姉妹の愛憎は、相変わらず面白い。
    この姉妹は女性の生き方に、それぞれ全く両極端な考えを持っている。しかも興味深いのは、お互いの考えを否定しながらも、なんとなく相手のことを、その生き方でやっていけそうだと見ていること。
    つまり笙子ちゃんは、姉はあのまま頭脳と努力で大成するだろうと思い、克美さんは、妹はあのまま愛嬌と可愛らしさで世の中を渡って行ってしまうだろうと考えている。そしてその確信が、お互いを、ひどく不愉快にさせている所がある。
    ただし共に、薔薇さまと言う存在が心理的ネックになっていた点においては全く同じ。克美の場合は「ライバル」として、笙子の場合は「憧れ」として。
    両極端に現れているものの、どっちもかなりな妄想。そう言う点で基本的に、似たもの姉妹なのかもしれない。

    実は内藤克美という人物を、私は当初から興味深く見ていました。
    何故なら彼女は、偏差値高めのミッションスクールに、実際ありそうな一面を反映しているからです。浮世離れした校風に危機感を抱き、「くだらないことに浮かれているうちに、ライバルはコツコツ勉強している(『ショコラとポートレート』p84)」と思ってしまう克美さんの姿は、説得力があります。
    でも、そうして脇目もふらず受験に突っ走った結果、大学に入ってから突然ど〜んと襲われる虚無感。そして同時に、自分が見落としてきた世界が急に悔やまれる、という気持はすごくよく分かります。
    特に、リリアンみたいに華やかな学校出身だと、そのコントラストはいっそう鮮やかでしょう。克美さんの場合、心の闇に押し込まれた念が総て、鳥居江利子という学園のスターに向けられている。

    ただ「マリみて」の常として、結末には必ず前向きな光が見えてくる事が救いです。
    予定調和と言ってしまえばそれまでですが、こんなご時世ですから、なんだかホッとさせられる話に出会えることは、正直うれしい。

    それに関して、ちょっと思ったけど……。
    「あの人」こと江利子さまは、お守りをくれたのが克美さんである事も、初詣仲間が一年後に再開を約束していた事も、総て知っていたのでは?
    常にマイペースで、時に全く他人に無関心なようでいて、実はそれなりに第一級の気配りが出来る人。……江利子さまは今回、そう見えました。
    蓉子さまの「豪腕」でなく、聖さまの「不器用な愛」でなく、そして蔦子さんの「策士」でもない。江利子さまの気配りは、あくまで「自然体」です。
    一緒にいたとき何だかよく分からなかったけど、会わなくなったずっと後に、その人の良さを気づく事があります。
    立ち去った後、ふっと爽やかな薫りだけを残すような生き方って、すごく格好いい。またある意味それが、黄薔薇ファミリーの持ち味なのかも知れません。
    「枯れ木に芽吹き」の読後感は、柑橘系のように甘酸っぱく爽やか。それは克美さんの想い人が、江利子さまだったからこそと言う気がします。

    PS. 次回作のタイトルが、既に決まったようですね。
    「クリスクロス」12月22発売ですか……。
    でもコバルト12月号短編で、蔦子・笙子の近況が語られたって事は……。
    次のバレンタイン・イベントで二人は……?
    ん〜っ! わくわく。

    修正します。(-_-;)
    ×「あの人」こと江利子さまは、お守りをくれたのが克美さんである事も、初詣仲間が一年後に再開を約束していた事も、総て知っていたのでは?
    ○「あの人」こと江利子さまは、お守りをくれたのが克美さんである事を知っていたのでは?

    24p上の最初に、江利子さまがちゃんと言ってました。
    「克美さんたち、一年後にお守りを返しに行くってもりあがってたじゃない?……」
    追加:2006/11/22 20:58
     
     
    No.976 【「クリスクロス」情報】 投稿者 : 朱夏 : 2006/11/26 15:31
    マンガ王倶楽部に、次回作「クリスクロス」の紹介記事がアップされました。

    →http://www.mangaoh.co.jp/topic/maria.php

    ほとんど参考にならない内容ですが、一点だけ「おっ!」と思ったことが。
    瞳子ちゃんが、ついにゲーム参加!?
     
    -1- No.977 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : 朱夏 : 2006/11/26 15:37
    それから、残念なこと。
    アニメイトTV・Webラジオ「マリアさまがみてる」が、とうとう最終回を迎えてしまいました。

    →http://www.animate.tv/digital/web_radio/detail_068.html

    特にこれからは、先代薔薇さまの声が、ますます聞けなくなると思うと残念。
     
    -2- No.978 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/11/26 22:20
    「まんが王倶楽部」の記事を読む限り、瞳子ちゃんだけのストーリーではないようですが、やはりメインは瞳子ちゃんのバレンタインイベントだと予想します。
    気になるのは「クリスクロス」というタイトルです。
    意味が解りません。もちろん言葉の意味は調べればわかりますが、タイトルとしての意味がどうにも掴めません。
    最初は人名かと思いましたよ(笑)。
     
    -3- No.979 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : いわし : 2006/11/28 10:28 :
    こんにちは。マリみてTTももうすぐカウンタが大台に乗りますね。

    クリスクロス
    あらすじとタイトルからは、「とりあえず短編集ではなさそうだなー」くらいしか読み取れませんでした。
    令さまの受験は果たしてどうなるのか。江利子さまのお守りは登場するのか。
    とかそっちも妙に気になってきましたが
    久しぶりに「今回は妹が決まるかもしれない」という予想が
    自分の中に生まれています。決まらなかったら多少ショックですが
    この展開の為に今まで妹決めなかったんだ!
    と思わせてくれるようなステキなエピソードを期待しています
     
    -4- No.980 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/11/28 21:10
    もうすぐカウンタが大台
    そうなんですよ(汗)。
    このところ、ずっと更新サボってるんで、「大台に乗ったらなにかしよう」などと思っていたのに何の計画もないのが現実でして・・・(汗汗)。

    短編集
    確かにたくさんたまってますが、いまの時期はやらないと思いますよ。
    やるとしても「本編と短編集、二巻同時刊行!」とかにしないと(笑)。
     
    -5- No.981 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : 十六夜博師 : 2006/12/01 06:11 :
    ご無沙汰しておりました。ごきげんよう。

    確認しました。12/22発売「クリスクロス」

    最初に思い出したのは「はじめの一歩」で出てきたボクシングの用語…でもこれじゃないし。
    google検索かけると出てくるのは小説のタイトル。これでもない。

    で、何とかスペルを推理して、英和辞典・英英辞典でしらべてみましたところ。

    1)十字模様、十字交差(複数でこれがたくさんあることを意味する。タータンチェックなどもクリスクロス柄にあたると考えられる)

    気になったのがこれ。

    2)(英英辞典)To move back and forth through or over 行きつ戻りつする
    3)(英英辞典  A state of being at conflicting or contrary purposes.  矛盾する、または目的に反した状態 (英和辞典では「食い違って」とある)

    語源がCrist's Cross(キリストの十字架)からきているということを考えれば「マリみて」らしい、でいいんですけど・・

    十字模様から、交差点がいっぱい、ということもいいのですが・・つまり、様々な「交差点」としてのイベントがあると。

    問題は(3)の意味。「うまくいかない」「食い違う」という意味をも含んでいることを考えると……

    スペルは crisscross です
    追加:2006/12/01 06:12
     
    -6- No.982 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/12/02 01:48
    問題は(3)の意味
    そうなんですよ。
    あまり、いい意味じゃないし、祐巳と瞳子ちゃんがまたすれ違ってしまうのじゃないかと、ビクビクしてます。
    「不器用姫」や「三つ葉のクローバー」なら合ってる気もするんですがね。
     
    -7- No.983 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/12/02 15:13
     ここ数冊の傾向からみて、サブタイトルがテーマに直接かかわるとすれば、そしてそのテーマが「心」の問題を扱うものであるとすれば、(3)の意味が一番ありそうですね。
     私らしくもなく、新刊予想などをしてしまいました。もっとも、こちらは私らしいのですが、作品のトリックという観点からのアプローチです。読みながら軽く笑い飛ばしてください。


    ① 次期生徒会長三人の姉妹は優勝者にならない。
     基本ですね。


    ② カードを隠した側から見て意外な展開となる。
     昨年の宝探しでは、三枚のカードそれぞれについてどんでん返しが用意されていました。今年もそれを踏襲するでしょう。ただ、昨年は祐巳視点で書かれていたため、カードを探す側からみての意外な展開、になっていました(紅いカードは少しひねってありますが)。今年はカードを隠す二年生の視点を織り交ぜることが可能になっていますから、どんでん返しをやるにしてもそのバリエーションは広がりうるわけです。
     例えば、乃梨子は志摩子のカードの隠し場所を正しく推理したが、そこにカードはなく、他の生徒が別の場所から白いカードを見つけ出した、とか。


    ③ 不在者チャンスを絡めたネタが一つは登場する。
     せっかく昨年と異なるルールを採用したのですから、これを使わない手はありません。とはいえ、未発見のカードあり→不在者チャンス、では真美の思惑通りであって、なんら面白みがありません。そこで、カードは発見された→けど不在者チャンス、の路線を考えてみましょう。

    『黄色いカードを発見したのは宝探し参加者であった。しかし無効になった不在者チャンスに投票されていた令(あるいは菜々)の解答を見ると、ずばり正解だった』

     昨年の黄色いカードの隠し場所にまつわるハートウォーミングストーリーをスライドさせたわけです。
     もっとも、このアイデアは不在者チャンスという制度の想定している範囲の事態にとどまっています。でも、せっかくどんでん返しの好きな今野作品なのですから、もっと突っ走りましょう。それが次です。


    ④ 不在者チャンスの前提そのものをひっくり返す。
     不在者チャンスの制度は、未発見のカードがあった場合でも、そのカードにおける権利を必ず誰かが手にすることのできるように、との配慮から導入されたものです。
     「必ず」ときました。
     つまり、「にもかかわらず」優勝者がいないカードが出てくる、ということではないでしょうか。
     「優勝者がいない」ことと、「未発見のカードがある」ことは、実は論理的にずれがあります。「カードは発見されたけれど薔薇の館に申告に来なかった」場合には、優勝者なしになるわけですから。ここに、トリックの入り込む余地があります。今野氏ならば大喜びでやりそうな仕掛けです。
     もちろん、このような事態になった場合、半日デート権は不在者チャンスの正解者の手に渡ることになるでしょう。しかし、彼女は正賞のカードの所有者とはなりえません(あえて名前をつけるとしたら、優勝者ではなく準優勝者?)。他方、カードを発見した者は、正当なカードの所有者として認められることはないでしょう。ここで『ウァレンティーヌスの贈り物』を思い出してください。白いカードは志摩子の心であり、美冬の心は紅いカードとともに温室に閉じ込められてしまいました。カード=心とすれば、作劇上のトリックをテーマに直結させることができます。
     昨年の例からして、一番手の込んだどんでん返しは紅が担当することになりそうです。そうすると、以下のようなシーンが思い浮かびます。

    『紅いカードを見つけたのは瞳子だった。カードを手に、薔薇の館に申告に向かう瞳子。しかし、薔薇の館の入り口扉の前で彼女は立ち止まる。自分が優勝者となってよいのかと自問し、逡巡した末、結局瞳子は踵を返して立ち去ってしまう』

     私が今野氏に代わって『クリスクロス』を書くとしたら、上記のシーンをクライマックスに持ってきます。そしてそこから逆算して、全てのシーンを配置します。
     どういういきさつで瞳子がバレンタインイベントに参加するようになったのか、とか、祐巳が紅いカードを隠したのはどこか、とか。このシーンに必然的に行き着くようにアイデアを出してゆくのです。
     例えば、紅いカードの在り処が、瞳子の目からみても明らかに祐巳と祥子の思い出の場所であったとしたらどうでしょう。薔薇の館の手前で瞳子の足を止めるに十分な理由になり得ますね。
     さらに、瞳子がイベントに参加したのが、(昨年の祐巳のように)紅いカードを探し当てることによって祐巳の気持ちを理解していることを証明するためだとしたらどうでしょうか。瞳子が理解してしまった祐巳の心が、挙げて祥子に向けられているのだという結論に行き着いたら。瞳子にとっては冷酷な現実というやつです。踵を返して立ち去りたくなるのではないでしょうか。
     ま、それ自体が誤解であり、すれ違い(クリスクロス?)であるという落ちをつけることはできますが、それは『クリスクロス』のさらに次の巻以降に持ち越しになるでしょう。しかもこの展開だと、瞳子の鞄の中の紅いカード、という小道具が、次の巻以降で存分に使えるという利点もあります(繰り返しますが、カード=心、だと仮定しての話です)。

     瞳子が薔薇の館から立ち去るシーンをラストに持ってくるのはすわりが悪いので、最後は祐巳視点に切り替えて、答え合わせをしたところ紅いカードがなくなっていた、という場面で終わりにするのが穏当なところでしょうか。

     これらの予想が外れることを期待します(笑)。
     
    -8- No.984 【どうせ「食い違う」のなら】 投稿者 : 朱夏 : 2006/12/03 08:47
    どっちにしろ当たらないと思うので、てきとうな予想を。(笑)
    カード探しは理想として、こうなる結果がベストです。

    瞳子が発見 →赤のカード
    乃梨子が発見→白のカード
    奈々が発見 →黄のカード

    まあ、こうなることはお話し上、あり得ない。それに奈々は、正規に参加することは許されていない中等部生。
    そこで、こうなったら面白いかも。

    瞳子が発見 →白のカード
    乃梨子が発見→赤のカード
    祐巳ファンの子達が発見→黄色いカード

    祐巳ファンの子達は、どうしても赤いカードが欲しい。そこで、ゲーム終了間際に乃梨子の目を盗んで、赤いカードとすり替えてしまう。
    これが結局、新聞部にバレてしまって失格。赤いカードは乃梨子の元に、そして黄色いカードは、なんと見事に不在者予想が当たった奈々の元に。

    結局、ゲームの結果はこうなってしまう。
    瞳子は、志摩子とデート
    乃梨子は、祐巳とデート
    奈々は、由乃とデート

    かくして乃梨子は、ひとつの計画を瞳子と奈々に持ちかける。それは、こういうデート・プランだった。
    デートの当日、三人はあらかじめ決められた時間に集合。もちろん、それぞれのブウトンを連れてなのだが、相手には秘密である。
    そしてそこからは組み合わせを替えて、お目当ての相手と夢のデート。
    二時間後に全員集合。再び、元の組み合わせのペアになって解散。

    はじめはフェアでないと怒った瞳子だが、乃梨子の提案は魅力的。それに何故か、合同デートに奈々が大乗り気。
    かくて、秘密のランデブー(懐かしい表現)計画が実行される。
    当日になって、その事を知った新聞部長の真美は契約違反と怒るが、蔦子の目がキラリ。
    蔦子は真美に「これはスクープの気配」と諭す。そして笙子をカメラマン・アシスタントとして、ランデブー現場に急行する。
    そしてさらに、蔦子達が見たものは……。
    なんてね。

    ちなみに、そろそろ祐巳・瞳子は決着がつくと予想。
    理由は、もう私がついて行けない……。(T.T)
     
    -9- No.985 【Re: どうせ「食い違う」のなら】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/12/03 16:08
     朱夏さん、楽しい予想でフォローをありがとうございます。私の「予想」があまり楽しくないことは自分でも承知していましたので、明るく前向きなご意見を拝見するとこちらが救われた気になります。


     祐巳・瞳子ラインですが、私はすでに祐巳は瞳子の「姉」であると考えています。おっと、これには補足説明が必要ですね。
     『未来の白地図』以来、祐巳の瞳子に対する思いの中に、これまでの彼女の「言葉」では説明しきれない要素が混じるようになっています。たとえば、瞳子ちゃんのいないところで瞳子ちゃんのことを考えるとなんだか胸が締め付けられるのだ、とか、瞳子ちゃんが泣いていませんように、と祈るシーンとか、きつい物言いで可愛くなくて…でもそれが瞳子ちゃんならそれでいいのに、などです。これらが「姉」の気持ちというやつではないかというのが、私の読みです。
     もちろん、「姉妹」のあり方については多くの見解がありうるでしょう。もしかしたら、ファンの数だけあるかもしれません。しかし、祐巳視点のパートで瞳子に対する部分を機械的に抜き出して列挙してみると、どうやら今野氏が考える「姉」の「声」とはこういうものなのではないか、というイメージが浮かび上がってくるようなのです。それが、一面で母親の愛情にも似た無償の慈愛であり、他面で相手を一個の独立した人間として尊重する姿勢です。
     もしも私の読みが外れていないのだとしたら、祐巳はすでに「姉」になっていると言ってよいと思います。

     ここで、少女小説の文法に立ち戻ってみましょう。少女小説は、一見、恋愛ばかりを描いていると見なされがちですが、その本質は実は主人公らの心の変化にあります。恋愛テーマの少女小説でさえ、恋愛そのものではなく、恋することによって主人公の気持ちが変わってゆく、その移り変わりに描写の重点が置かれているのです(例:丘ミキ1巻)。
     祐巳の心情はここ数巻で決定的な変化を経験しました。瞳子に対し包み慈しむ気持ちが芽生えたのがそれであり、そこですでに少女小説としては「決着」がついたのです。乃梨子ではありませんが、ロザリオの授受は本質的なことではなく、すでに祐巳は「姉」である、後は瞳子の気持ちがどのように変化するかに過ぎないというのが私の見方です。
     異論はあろうかと思います。それでは一方通行の気持ちであって、二人の絆として完全なものではないではないか、という疑問は、当然だと思います。それに対する反論としては、ロザリオの授受があれば完全なのか、そうではないからこそ祥子と祐巳の関係について11冊を要したのではないか、とだけ申しておきましょう。

     またまた私らしくもなく、ずいぶんと「物語」に立ち入った意見になってしまいました。最初は祐巳の「声」というレトリックレベルの分析から入ったのですが、やはりレトリックと「物語」は地続きのようです。


     で、朱夏さんに対しては、「ついて行けない」などとおっしゃらずに、もうちょっと今野氏に付き合ってあげてくれませんか、とお願いしたいです。せっかく素晴らしい「読み」をなさる方なのですから、あと7冊くらいは(11冊-白地図以降の4冊)…いかがなものでしょう(笑)。
     
    -10- No.986 【Re: 「クリスクロス」】 投稿者 : ロサ・ギガンテス : 2006/12/03 22:13
    ごきげんよう。
    私が気になっているのは。瞳子ちゃんがチョコレートを用意するかどうかということです。
    私も、みなさまと同様に瞳子ちゃんが「紅いカード」をゲットしてしまっては話が出来すぎていると思います。
    では、どうやって瞳子ちゃんの意思を祐巳さんに伝えるか?となると、やはりバレンタインデーなので「チョコレ-ト」が重要なアイテムとして機能するのではないかと思います。今のところ、表紙イラストも発表されていませんし情報はまったく無くて憶測の域を出ませんが。隠しだま的に伏せているってことはないですかねぇ。
     
    -11- No.987 【葛藤と十字模様】 投稿者 : 十六夜博師 : 2006/12/04 00:51 :
    ごきげんよう。いさよいひろしです。
    crisscrossの英英辞典による意味について補足します。

    「英辞郎」でのcrisscrossでは、他動詞の2番目の意味として……
    http://www2.alc.co.jp/ejr/index.php?word_in=crisscross&word_in2=%82%A9%82%AB%82%AD%82%AF%82%B1&word_in3=PVawEWi72JXCKoa0Je

    もうひとつ。
    (3)の英英辞書による説明において使われている conflictという単語には、「葛藤」という意味があります。(「葛藤」を和英辞典でひいてみるとconflictと出てきます)ですから「食い違い」「うまくいかない」というのは、個人内の葛藤としても使うことができる可能性もありますね。

    「葛藤」は「葛(くず)と藤(ふじ)」で、ツタが絡まりあった状態からきているのでしょうから、crisscrossの「十字模様」とも符合します。
    状況としても、登場人物の葛藤としても「交差する人間模様」のようなものが思い浮かぶのです。

    そのことからして、もちろん、カードの発見者が「思いとは食い違う」ということもありましょうし、
    瞳子が抱える葛藤もまた深いものですし、
    それを見つめる乃梨子や祐巳の葛藤もまたあることでしょうし、まあいろいろ。
    そういえば「黄薔薇交錯」というお話もありましたね。超短編ですしコメディですけれど。あれも一つのクリスクロスといえましょう。
     
    -12- No.988 【蔦笙と十字模様】 投稿者 : 朱夏 : 2006/12/04 16:04
    ロアデル本日も多忙さま
    お心遣い、ありがとうございます。
    結末を見ずして平気なほど、私は度胸ないですから……。(^_^;)
    今後も今野作品はきっと、すべて付き合うことになると思います。

    「予想」があまり楽しくない
    私は結構、面白く読んでますよ。
    というか、ここ「マリみてTT」にコメントなさる方々はみな、それぞれ独自の視点があって、掘り下げ方がユニークで面白い。
    そもそもワトソンさまがこのサイトをお作りになったのは、特に時系列に絞った物語設定分析が目的だったと思います。それが現在このBBSに限って言うと、キャラクター心理分析、物語論に従ったキャラクター分類、そしてテキスト解析にまで及んでいます。
    こうしたみなさまのご意見を読んでいつも、「ほ〜!」と感心しています。正直なところ、このBBSで新たに気づかされた事も少なくありません。

    常々私が感心してるのは、このようなご意見を寄せる皆様が、お話しを楽しむ術(すべ)を心得ていらっしゃること。
    今野作品は、巧妙な物語構成を得意とします。しかしその一方、ときにレトリックで「?」な事がけっこうあります。しかも不幸なことにラノベ故の平易な文体が、そのアラをいっそう目立たせている。
    でもそのほとんどは、人気作家故の大ポカであると思えます。
    そこに緻密な物語分析を加えれば、どうしてもこのようなアラを浮き立たせがち。
    でも、ここにご意見を書き込まれる皆さんは、上手にそのポイントをスルーなさっている。それが私には、すごく大人でエレガントに見えます。(^_^)
    このサイトが、このままずっと良質の情報を提供する場所であって欲しいと願っています。……って、何時も駄文を書き込んでる私が言える立場では無いのですが。;汗

    余談ですが、ロアデルは本日も多忙さまは、ひょっとして久美先生の「新人賞の取り方教えます」を読んでらっしゃいます? ずいぶん昔の本ですが私も好きで、時々目を通しています。

    十六夜博師さま
    「葛藤」は「葛(くず)と藤(ふじ)」で、ツタが絡まりあった状態
    なるほど、そういう風に読んだことはありませんでした。
    では「蔦笙」は?
    →1)蔦(つた)と笙(しょう)が絡まりそうで、いっこうに絡まない状態。
    →2)カメラを持って、縦横に走り回ること。
    失礼しました。m(_ _)m
     
    -13- No.989 【Re: 「クリスクロス」情報】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/12/05 14:28
    ひょっとして久美先生の「新人賞の取り方教えます」を読んでらっしゃいます?
     鋭い。
     確かに私は久美氏の『新人賞』シリーズや、氷室冴子氏の『マイディア』、北村薫氏の『謎物語』など、エンターテイメント作家の文学論が語られていそうな本は読んでいます。まあ、『新人賞…』を読んだからといって私が新人賞を獲れるわけもないんですけど、久美沙織氏が小説をどのように読んでいるか、書いているかという観点から見ても示唆的な一冊ですからね。

     ただ、私の作品分析は、どちらかというと文学研究者の仕事の猿真似です(そもそも久美氏自身、文学部出で、文学研究の手法を知っているはずです)。
     例えば、最近読んだ中で「すごい」「敵わない」と思ったのが、奥彩子氏の研究。
     ↓がそれ。
    http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/50/oku.pdf
     5ページから6ページのタイムテーブルだけでも一見の価値があります。
     12ページ以降の「語りの手法」の部分の分析は、『枯れ木に芽吹き』の感想を書く際に大いに参考にしました(いや、奥氏に比べて私の分析が余りに稚拙であることは内緒ということで)。

     このように、文学研究の手法に馴染んでいるために(頭が毒されているために?)、「特定の語彙の出現回数を数える」だの、「作中から関連する部分を全部機械的に抜き出す」だのという、あまりに泥臭い作業をやってしまうわけです。ま、好きでやっているからいいんですけど。


     あれ。新刊『クリスクロス』の話題からずいぶんと遠ざかってしまいました。話を戻しましょう。
    絡まりそうで、いっこうに絡まない
     ということで(?)、『クリスクロス』でも祐巳と瞳子のロザリオの授受は行われない、と、予想を付け加えておきます(笑)。
     
     
    No.990 【あの〜】 投稿者 : 朱夏 : 2006/12/15 01:19
    さりげなくスルーされてますが、100000hitおめでとうございます。
    ワトソンさま。これからも、頑張って続けてください。(^_^)/
     
    -1- No.991 【Re: あの〜】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/12/15 02:18
    あっ、どうもどうも(笑)。
    朱夏さま、ありがとうございます。

    更新サボってるのに大勢の方に来ていただいていて、ありがたいかぎりです。

    更新が止まっているタイムテーブルは、お話がバレンタインに達してから考えることにします(汗汗)。
    (バレンタイン前後の曜日が確定することを期待して)
     
    -2- No.992 【あと一週間】 投稿者 : 朱夏 : 2006/12/15 22:43
    「クリス・クロス」
    もうじき発売のはずなのに、マンガ王倶楽部に表紙イラストが掲載されないのが気になります。
    今度のバレンタインは、タイムテーブルが錯綜することを希望!(^m^)
     
    -3- No.993 【あと一週間ですね】 投稿者 : 韓子音 : 2006/12/16 15:26
    まんが王倶楽部にクリスクロス表紙絵UPされてましたよ。

    次期薔薇さま三人の絵です。
    伸びていく祐巳のリボンの先に誰がいるのか、気になるところですw
     
    -4- No.994 【白と黄色】 投稿者 : 十六夜博師 : 2006/12/17 01:41 :
    クリスクロス表紙

    いやさ、リボンの先よりも気になるのはだな、
    志摩子さんが黄色の紙(カード?)を持っていて、隣で由乃ってばおねむってるってこと。

    どれだけこんがらがるのかなぁっっと(他人事)


    ワトソンさま
    100000ヒットおめでとうございます。
     
     
    No.1004 【今日のテレビで】 投稿者 : 祥子 : 2006/12/25 21:05
    作家のターシャさんの番組が7時30分からありました
    とてもきれいなお庭で、いってみたくなりました
    そこにはロサカニーナがさいていました
    ほんとうに可憐で、薔薇とはおもえません
    まりみてで書いてあったとおりですね

    でも、ザマーガレットはショック
    さちこさまだい
    しょーこじゃないよー
     
    -1- No.1005 【こんにちは祥子さん】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2006/12/25 21:57
     こうしてお会いするのは初めてですね。祥子さんのことはこちらの掲示板の過去ログを読んで存じています。
     私は毎日忙しいので(嘘)、おっしゃるテレビ番組は見ていないのですが、きっと素敵なお庭だったのでしょうね。

     ロサ・カニーナと言えば、私にはちょっとばかり感慨深いものがあります。
     私が『マリア様がみてる』シリーズを読み始めた時、ちょうど『ロサ・カニーナ』が最新刊でした。
     私が今野緒雪氏のファンになったのは、受賞作の『夢の宮〜竜のみた夢』です。雑誌掲載版です。一発ノックアウトでした。
     でも、しばらくは『夢の宮』一筋だったため、『マリア様がみてる』シリーズは書店に並んでもスルーしていたんですよね。で、初めて今野氏の「学園もの」に手を出した時には、女の子のイラストの本が4冊並んでいた、というわけです。
     思い返せば、なんと前世紀の話になるんですよね。当時は今野緒雪といえば超マイナー作家で(当時のコバルトの主流は桑原水菜氏とか若木未生氏などでした)、今の状況なんて想像もできませんでした。こうして『マリア様がみてる』を通して祥子さんとお知り合いになれて嬉しいです。


     名前を間違えられるのは悲しいですよね。特に祥子さんは小笠原祥子と同じお名前ですから、そのショックはお察しします。
     ちなみに、私の活躍するシリーズのタイトルは、よく、『スピリッシュ!』と間違えられます(笑)。『スリピッシュ!』が正しいのに。
     
     
    No.1000 【「クリスクロス」志摩子さんのカード】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/12/23 00:59
    志摩子さんのカードについては、自力で答えを見つけたいかたも多いと思いますので、感想スレッドから分離することにしました。
    ご協力、お願いします。
     
    -1- No.998 【Re: 「クリスクロス」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/12/22 22:40
    読了しました。あ〜、面白かった!

    志摩子さんのカードの隠し場所について。

    ヒントは「る」「た」「ま」「く」「の」「ウサギのイラスト」の六つ。
    さらに、「時間によって(午後4時40分頃)状態が変わる場所」「カード自体は動かない」というヒントもあります。
    う〜ん・・・午後4時40分頃に状態が変わるというと、照明(街灯)でしょうか。
    2月頃なら、4時過ぎ頃に点灯するのは自然と思います。
    でも、平仮名のヒントがわからない。「ウサギのイラスト」もわからない。
    白薔薇でウサギといったら、もう「ウサギガンティア」しか思いつきません(笑)。

    祐巳のカードの隠し場所について。

    読んでいる間は「椅子の底」か「背もたれの裏」と予想していました。
    「祐巳が座っていても見つけられないことはない」場所と思ったからです。
    でも、祥子さまが他の生徒に席を譲っても祐巳が座り続けているのは不自然ですから、「立ち上がれない事情がある」と推理できます。「椅子の底」とか「背もたれの裏」なら、必ずしも座り続けている必要はありません。
    それで「祐巳の背中に直に付けている」あるいは「背もたれと背中の間に挟んでいる」と予想しました。
    その場合、実際にカードを隠したのは真美さんでしょう。
    で、正解は・・・
    お尻の下ですか? それは反則でしょう・・・見つけられませんよ。
    と思ったのですが・・・
    座布団の上に「ごきげんよう」というのは、「背もたれと背中の間に挟んでいた」のが立ち上がった拍子に落ちたとも考えられますね。
    それにしても「あ」と言ったのは誰なんでしょう。瞳子ちゃん?(だったらいいなぁ)。
     
    -2- No.999 【Re: 「クリスクロス」】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2006/12/23 00:35
    志摩子さんのカードの隠し場所について
    「ウサギのイラスト」について、99%正解と思われる推理を知人のブログで読みました。
    そこから推理すると「くるまの○た」が正解と思われます。
    「くるま」に関しては最初に思いついたので、もう少し粘れば自力で思いつけたのかもしれないのに・・・(涙)。
    でも、ちょっと隠し場所としては危険なんじゃないかなぁ。
    ねえ、深月さま。
     
    -3- No.1002 【Re: 「クリスクロス」志摩子さんのカード】 投稿者 : 深月 : 2006/12/23 01:55 :
    どうも、知人です(笑)

    私はワトソンさまに指摘されるまで、平仮名で7文字と勘違いしていましたので
    私の推理にワトソンさまのヒントが加わった状態で本当の正解を導き出せたと思います。
    どうもありがとうございました(笑)

    それよりも、これらのヒントで祥子が場所を言い当てたというのが素晴らしいかと。
    「ウサギのイラスト」から正解を導き出したわけですから。
    祥子が知っているとなれば、全校生徒がわかるヒントだったということなのでしょうね。
     
    -4- No.1003 【Re: 「クリスクロス」志摩子さんのカード】 投稿者 : アルス : 2006/12/23 02:48
    「クリクロ」のちさとさん視点で「たくましい生徒」の部分は「たくましい聖」さまの事かと思いましたが、全くの的外れでした・・・。
     
    -5- No.1007 【Re: 「クリスクロス」志摩子さんのカード】 投稿者 : 朱夏 : 2006/12/27 08:51
    ほぼ確定しつつあるようなので、今さらですが……。
    あえてもう一度、情報を整理してみます。
    とりあえず本文からヒントが読み取れるのは、引用は省略しますが、以下の箇所。
     p68〜69、p70〜71、p77、p141、p192、p193、そしてあとがき
    これを整理すると。

    1)ヒントは全部で七つ。
    2)分かっているのは五文字、「ま、る、た、く、の」
    3)そして、「ウサギのイラスト」
    4)七つのヒントのうち、ひとつが分かっていない
    5)ゲームセット(=4時40分)になるまで、極めて見つけにくい状態になっている

    えっと……「くまのた(べ)る+ウサギ」……うわ、残酷!
    じゃあ……「のたくる(う)ま?」……なんじゃそりゃ!

    やはり、深月さまの推理以外には考えられませんね。Webでもおおむね、同じ結論に確定しつつあるように思えます。
    ウサギはお馴染み、例のイラスト。そして「くるまの○た」という線で。
    これを補足するように、以下の記述も見られます。

    a)「たぶん先生達はまだ職員室にいる。イベントが終わるまでは、気になって帰る気にならないはずだ。だから、本を返すのだったら、今しかない。宝探し終了後に訪ねても、タッチの差で帰られてしまう可能性があるからだ。(P84〜85)
    b)教職員の駐車場やテニスコート、グラウンドの隅まで、許可さえ下りれば範囲に入れたい(p184)
    c)「七つあるヒントのうち、六つは本文中に出ています。そう言う意味では祥子と条件は同じですが、必ずしも同じヒントを手に入れているとは限らないので、有利不利はあるかもしれません。(P197「あとがき」)

    a)は、ちさとさんが山村先生を訪ねる根拠を補足しています。しかし、ちょっと過剰な時間の説明が、如何にもです。つまり、イベント終了時間をもって先生達はいっせいに「潮が引くように」帰宅するであろう事実を示しているのだと思えます。
    b)は、その場所ズバリ。
    c)は一読して、何を言っているのかまわりくどく、非常に分かりにくい。特に「必ずしも同じヒントを手に入れているとは限らない」ってどういう意味?
    しかしこれは「マリみて」読者にも、「パラさし」の巻を未読の人たちがいる可能性を、遠回しに指していると考えれば納得出来ます。

    それと深月さまの疑問点、「志摩子さんと○田先生との繋がり」は、やはり「パラさし」P106を読むと分かります。
    青い傘が戻ってきたエピソードは、祐巳が立ち直るきっかけとなったエピソードでした。しかも祐巳が、その事を真っ先に報告したのは、他ならぬ志摩・乃梨スールでした。なので高等部入学組の乃梨子ちゃんでさえ、○田先生の名は印象深く覚えていたはずです。
    それから、「先生の車を、生徒がいちいち覚えているか?」という疑問を指摘する向きもありますが、私の経験からすると、結構覚えていると思います。
    特徴のある車だったら、特に。


    それと今回、ちょっと思ったのですが……。
    今野先生はこれまで、具体的な地形の表記はなるべく避ける方針でいらっしゃいました。
    しかしここまで来ると、さすがにそれが裏目に出ているように思う。
    今回の様にロケーションが重要な意味を持つ話では、読者に不親切感を与えています。
    リリアン校内地図が無いので、カード探しイベントが分かり難かった。特に、由乃ちゃんのカードが貼り付けてあった壁(職員室の外壁)と、図書館の位置関係。そして校門から昇降口に向かった令が取ったコースは不自然で、頭の中でそうとうにイメージしにくかったです。
    あと武道館と旧い温室が、比較的近くにあるという記述もよく分かりません。

    確かにお話しとしては、ロケーション説明に多少の矛盾があっても、ストーリー上の影響はありません。しかし空間認識に敏感な人間には、こうした表記は心臓に悪いです。
    過去に「読者のモデル校探し騒ぎ」など気遣いはあったと思いますが、出来ればアニメ化が決定した時点で、外部ブレーンの協力を得てでも、リリアン校内の正確な地図を作っておくべきだったと思え、残念でなりません。

    上記のb)「許可さえ下りれば」はもちろん、○田先生の許可も意味しているだろう。
    志摩子さんの性格を考えれば、危険性も含めてきちんと相談したはず。
    そして帰宅時間については、特に協力して頂けるようにお願いしたのではないだろうか。
    追加:2006/12/27 09:09

    (さらに補足)
    上記のc)、祥子さまが、読者より有利な情報を持ってるとしたら……。
    ウサギのイラストがどのような絵か、誰かに聞いた可能性がありますね。
    確かにそれが分かれば、正解を得るまで難しくなったかも。
    追加:2006/12/28 22:29

    ↑ああもう、ごめんなさい!
    ×「正解を得るまで難しくなったかも」→○「難しく無かったかも」の間違いでした。m(_ _)m
    追加:2006/12/28 22:32
     
    -6- No.1008 【志摩子さんのカード】 投稿者 : いわし : 2006/12/27 11:11
    ごきげんよう。
    自分はヒントはまだあったのだと勝手に思っています。
    委員会ボードの「ま」のカードだけは詳しく描写されていますよね。
    そこで3つの薔薇が描かれている事が明らかになっています。これは三枚目という事なのでは?
    「くるまのした」の3文字目が見事に「ま」です。ちょっとサンプルが少なすぎるので
    根拠には弱いですが、簡単な問題を目指されていたわけですから、
    カードの現物を見ていれば本来もっと簡単な問題だったのではないかと…

    ちなみに「有利不利があるかもしれない」というのは
    祥子さまが薔薇の館で知った6つのヒントと、読者が神視点で知った6つが
    違うかもしれないという意味だと思います。
    つまり祥子さまは
    「る」「た」「く」「の」「し」「ウサギのイラスト」
    で解いたかもしれないという事ですが(車の下以外の可能性は無視)、こっちの方が難しそう
     
     
    No.1012 【マリみて10周年!】 投稿者 : 管理人(ワトソン) : 2007/01/21 21:22
    聞くところによると、マリみて10周年だそうですよ。

    最初の「マリア様がみてる」(後に改稿されて「銀杏の中の桜」となる作品)が雑誌コバルトに掲載されたのが1997年2月号、先頃発刊されたのが2007年2月号。
    なるほど、ちょうど10年です。

    これはめでたい!

    その2007年2月号ではマリみてOVAの特集を組んではいますが、どうやら編集部は10周年に気付いていない?

    もっとも、最初の文庫の発売(1998年4月)から数えたほうがいいかもしれませんが。
     
    -1- No.1013 【なるほどー。】 投稿者 : いわし : 2007/01/22 14:03
    ごきげんよう。10周年ですか。すごい話です。
    コバルトでは以前、今野先生の作家生活10周年(だったっけ)を取り上げたことがあった気がしますし
    マリみてを振り返るのはわりと頻繁にやっているのでコバルトで取り上げられなかったのは
    道理かなー、マリみて特別扱いされすぎるのもアレだし…
    なんて思ってますが単に編集部が気付いていないという事も往々にしてありそうですね

    いい機会だから短編版を久しぶりに読み返してみることにします。
    この瞳子にまさかあんな秘密があったなんて…と思いなが読んでみちゃったりして

    次号のコバルト短編は新学期の話らしいですね。
    4月号だから年度始めの話なんでしょうけど…
    祐巳の入学時を描くと見せかけて桂さんメインな短編を希望しておきます。
    言うだけならタダ
    追加:2007/01/22 14:20
     
     
    No.1014 【幻の『三人称ジョアナ』】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2007/01/30 13:37
     話題に乏しい時期のようなので、小ネタをひとつ(といっても長いのですが)。

     瞳子視点の記念すべき第一作、しかも一人称といえば、『ジョアナ』ですが。
     実は、この世のどこかに幻の『三人称ジョアナ』があった、と言ったら、どう思われますか?

     種明かしをすれば、今野氏が最初は三人称で『ジョアナ』を書き始め、途中で一人称に切り替えた可能性が高い、というだけのことなのですが。

     『マリみて』の三人称の地の文は、「一人称的」三人称体とでも言うべきものです。しかしあくまで一人称「的」であり、本来の一人称とは微妙に異なっています。
     主人公のフルネームをどのようにして登場させるかといった細かいことからはじまって、語彙の違い、文末表現の違い、心理描写の後に「〜と思った」と付けるか否かなど、精査すると一人称体と三人称体の違いはいくつも見つけることができます。
     最も手っ取り早い見分け方は、一人称の「私」の部分に主人公の名前をあてはめて読んでみることです(三人称のパートはその逆)。違和感を覚える箇所があったら、そこが一人称体と三人称体の分かれ目です。

     例えば、『ロサ・カニーナ』の167頁2行目〜3行目の「私」を、「祐巳」に置きかえて書き出してみます。
    で、祥子さまに叱られるのが嬉しい祐巳はマゾだから、相性はピッタリ。―って、祐巳ったらいったい何考えてんだろ。
     ずいぶんブリッコの祐巳ですね。て言うか、これ、三人称体になってませんよね。
     もうひとつ、『いばらの森』の273頁9行目〜10行目を、「聖」にかえてみましょう。
    栞を失った傷は深くて大きいけれど。聖を理解しようとしてくれる誰かが、聖の側にいてくれることは、聖をどんなにか慰めてくれることだろう。
     読みづらい上に、くどいです。
     一般に、三人称→一人称への読み替えはスムーズに行われることが多いのですが、その逆をやろうとすると方々で引っかかる、というのが、経験則の教えるところです。

     以上を踏まえて、『ジョアナ』の地の文の「私」を「瞳子」に置きかえて読んでみてください。まあ、ものは試しに。
     途中まではすいすい読めるはずです。61頁10行目の「この人は何を言っているのかしら」までは。
     ところが、それ以降、途端につまづくようになります。
     61頁12行目「今更、私の気持ちをかき回さないで欲しい」、63頁4行目「私を説得するために、ここで待ち伏せしたんでしょう?」などは、どう料理しても三人称体になりません。
     ということは? どういうことでしょう。

     『ジョアナ』の前半部分は三人称体にも一人称体にもなりうるのに対し、後半部分は一人称体にしかなりえません。これって…。
     偶然、ということもありえます。前半部分は、たまたま、「私」を「瞳子」に置きかえて読んでも違和感のない文ばかりが並んだ、という可能性は十分考えられます。短編の、しかも半分ですから。
     しかし私は、「『ジョアナ』の前半部分はもともと三人称体で書かれたものだ」という説を提唱します。

     わかりやすい例を挙げると、60頁1行目〜2行目。これを「瞳子」に置きかえます。
    部長はその場のただならぬ空気を感じて、瞳子に尋ねた。瞳子が何も説明しないでいると、今度は振り返って先輩Aに同じ質問をした。
     ここはむしろ三人称のほうが通りがいい。「感じて」「振り返って」といった動詞が、部長の主観に寄り添っています。一人称よりは中立に近い、三人称体ならではの表現です。

     今野氏は最初三人称で『ジョアナ』を書き出した。しかし61頁10行目あたりまで来たところで、「この作品は一人称のほうがいいのではないか」と気づき、急遽一人称に書き直した。そう仮定してみるとどうでしょう。
     すると、60頁8行目と9行目で、主人公が「瞳子」になっている理由もわかります。喩えて言えば、白い紙の上にこぼされた二滴の黒インクではなく、もともと黒い紙を白く塗りつぶそうとした、その塗り残しです。『チェリーブロッサム』15頁14行目の「瞳子」、75頁13行目の「瞳子たち」に、いずれも「さん」を付け忘れたのと同じ理屈です。

     『ジョアナ』の第一稿は、幻の『三人称ジョアナ』であった。それが私の仮説です。

    (もっとも、これはレトリックレベルの解釈であり、物語レベルでの別の読み方、すなわち、瞳子は内心自分のことを「瞳子」と呼んでしまうことがある、といった読みを排除するものではありません)
     
    -1- No.1015 【蛇足】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2007/01/30 13:38
     本題はここまで。以下は蛇足です。
     私の仮説が正しかったとしても、『ジョアナ』の決定稿が一人称体であるという事実に変わりはありません。では、三人称『ジョアナ』と一人称『ジョアナ』を読み比べてみて、前者になくて後者にあるものは何でしょう。
     これは私の主観ですが、一人称のほうが、瞳子のひねくれぶりがより強調されているといえないでしょうか。

     今野氏は、『ジョアナ』を三人称から一人称に書き直すことで、何かをつかんだのかも知れません。それが『妹オーディション』以降の瞳子の危うさ、どこか放っておけない感じ、につながっているのだとすれば、怪我の功名といったところでしょう。
     作家は書くことによって作中の人物と「出会う」ものです。今野氏は『ジョアナ』を書きながら瞳子と「出会ってしまった」のではないか、そんなことを私は考えています。
     
    -2- No.1016 【Re: 幻の『三人称ジョアナ』】 投稿者 : : 2007/01/31 04:17
    初めまして、ロアデルは本日も多忙様。

    興味深いご意見ですね!確かに言われてみれば、57頁4行目と6行目が括弧に入っているのも三人称体だった頃の名残のように見えます。一人称体でこの括弧は必須のものではありません(なくても意味は通じます)が、もしなかったとしたら「私→瞳子」の置換えが上手くいかなくなります。元々は三人称体だったことを逆説的に現しているのかもしれません。

    『チェリーブロッサム』15頁14行目の「瞳子」、75頁13行目の「瞳子たち」に、いずれも「さん」を付け忘れた
    Cobaltに掲載された時、地の文では「志摩子」や「瞳子」と呼び捨てでした。75頁13行目については、文庫収録に当たり既刊の文体と合わせるため「さん」付けを行った際に見逃してしまったのでしょう。
    ただ、15頁14行目(や16頁3行目)の方は単なる付忘れとは言い切れないと思います。乃梨子が「さん」付けで呼び合うリリアンの風習にまだ慣れていないことを表現するため、敢えて「さん」を付けなかったとも読めます。
    ちなみにCobaltに掲載されたものには、15頁14行目(や16頁3行目)に該当する部分はありません。ですからここも単なる付忘れとすると、75頁13行目の場合とは違って、新たに文章を書き下ろしたのにも拘わらず、「さん」を付け忘れてしまったことになります。
     
    -3- No.1018 【Re: 幻の『三人称ジョアナ』】 投稿者 : ロアデルは本日も多忙 : 2007/02/01 10:57
     ありがとうございます、円さん。

     『チェリーブロッサム』16頁3行目の「瞳子」は見落としていました。さすがは乃梨子一筋の方。

     加筆部分での「さん」の付け忘れですが、不思議はないと私は思っていますよ。今野氏が雑誌版を傍らに置きながら執筆したといっても、下準備もなしにいきなりキーボードに向かったとは考え難いものがあります。文章の流れを把握していないと、書き写すにしても効率が悪いからです。『銀杏の中の桜』を書き始める前に、最低一度は雑誌版を読み返したはずです。それも、楽しむために読むのではなく、創作の資料として読むのですから、相当念入りにチェックしたことでしょう。そうこうするうちに、「『さん』なしの『瞳子』」にすっかり頭が占領されてしまって、加筆部分でもついつい「瞳子」と書いてしまった、という可能性はありますから。
     もちろん、真相は円さんの仰るとおりかも知れません。それに、執筆時の経緯はどうあれ、出来上がった作品を読んで、「この頃の乃梨子はリリアンの流儀に慣れていなかったから内心でも『さん』づけせずに呼んでいたのだ」と解釈することは何らの妨げになるものでもありません。むしろ事後的な読みとしては、「ただの間違い」と切り捨てるよりよっぽど優れた読み方だと思います。私が乃梨子ファンだったとしたら、その辺りは譲れないところだったかも知れません。失礼しました。
    - CGI Scripted by Watoson -
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