なんとも奇妙な読後感でした。
どなたもコメントなさらないので、僭越ですが私なりの感想を書いておきます。
管理人様。Cobalt4月号は現在も発売中ですので、もし必要でしたら、メタバレモードにお願いします。
さて「ワンぺア」については、大きく分けて、二つの疑問点があります。
第一に、この話に何故、違和感を覚えるのか?
第二に、今野先生はいったいこの物語で、何を書きたかったのか?
では第一の疑問から考えて行きましょう。
現在の「マリみて」は、作者と読者の間に、いくつかの不問律があります。
その代表的な要点を上げると、以下の様なポイントかと。
1)「スール」が主題であること
2)ビルドゥングスロマンとしての主題
3)悪人の不在
4)結末に、おおむね何らかの救済がある
ところが「ワンペア」は、上記のほとんどに該当しません。
1)のスール問題はどこにも扱われていませんし、2)の要素もありません。
3)にしても、メノウとコハクの双子は不気味です。4)に至っては、前後編も費やしておきながら、結論らしい結論がありません。ここで読者は既に、かなり面食らったのではないでしょうか。
となると第二の疑問、今野先生は「ワンペア」で、一体何を書きたかったのでしょう?
以前、中公新書「ミッション・スクール」(佐藤八寿子著)という本のことをご紹介したことがあります。この中で著者は、近代女性がリベラルな教養を身につけたことで、新たに「ファムファタルとして描かれる女学生」が文学に登場したことを書いています。
つまり美少女が教師を破滅させるテーマは、女子校ものとして定番とも言えるわけです。
しかし、こうしたネガティブな女生徒のイメージは、従来の「マリみて」では絶対にありえませんでした。ただし「ワンペア」では、破滅に追い込まれた男性(飛田一也)については、地文と会話で説明されるだけで全く登場しません。その代わりに話を進めるのは、従姉の女性教師、多子です。
このことで物語はミステリー仕立てとなり、生徒と教師の恋愛という生々しい記述を避けることに成功しています。さらに人形のように美しいミステリアスな双子の存在は、むしろ耽美な印象を受けます。つまり「ワンペア」という作品は、女子校を舞台としたゴシックミステリーだったと。
これも「マリみて」の世界が確立した上で、人気作家ならではのお遊びと言えましょう。
今野先生はきっと、「ワンペア」のコハクとメノウのように、「マリみて」に収まらないキャラをいくつかお持ちなのでしょう。
穿って考えると、お遊びとは言え、今野先生とCobalt編集部は、半分本気で、ある種の実験を試みたかとも思えます。つまり今後の「マリみて」について、どこまで話を振れるかという可能性のテストだったとも思うのです。表紙に瞳子ちゃんが単独で登場することなども、そうした試みのひとつとも考えられます。
しかしネットなどの反応を見た限り、「ワンペア」はなんとなく、「マリみて」ファンにスルーされてしまったように思えます。
さてこのお話、今後の短編集に収まるんでしょうか?
何だか、今回限りのような気がします。やはり多くの「マリみて」ファンは、あまり過激な変化を望んでいないように思うのです。
私個人としては、こういう展開は「マリみて・アナザーシリーズ」としてなら、嫌いではありません。
長文、失礼致しました。
ありがとうございます。お手数かけました。
追加:2008/04/12 21:18